数年前までの私は
誰かに対して、怒れなかった。

ひどいことをされたとしても
『私が悪いんだ…』
とすべてを抱え込むことが多かった。

ひどいことをされたとしても
泣くことしかできなかった。

それが変わったのは
「怒っていいよ」
と言われたときから。

知り合いの、エンパス気質の娘ちゃんが
私にものすごくふっかけてきていて

そのお母さんから
そう、言われたのだ。

あのときは、言われたことを
うまく理解できなかったけど
今なら、わかる。

去年の秋ぐらいから
『憑かれる』ような感覚を
何度か味わった。

『憑かれた』と思われる人にも
出くわした。

憑かれる、って
悪霊にとりつかれた、

みたいな大げさなイメージがあるけど

魔が差した、ってことが
まさにそれと同義だと思うの。

誰だって
ふと、そうなってしまうことがある。

そして、

何に憑かれたのかによって
加害者側にも、被害者側にも
なってしまうのだと思うの。

そこには必ず、
共依存が存在している。

パズルのピースがはまったときにだけ
起きる、魔。

私はどちらかといえば

怒る側よりも
怒られる側の役目が多かったけれど

「怒っていいよ」
と言ってもらえてから

自分の中の怒りや悲しみを
解放していった。

適切に怒る、ということを覚えた。

相手にぶつけるのではなくて
怒りを自分から離すことを覚えた。

そうやって解放していくと

自分にとって
怒ることがどれだけ大切なことなのか
わかるようになった。

『そんなひどいこと、
 するんじゃねーよ』

そうやって、
いじめっ子から守ってほしかったの。

私の代わりに、
怒ってほしかったの。

『私が悪いんだ』って抱え込んだ重荷を
軽くしてほしかったの。

私が封印してきた怒りは
私を守るためのものだったの。


どんな感情も
どんな出来事も

きっと、いつか、愛に変わる。

それまでは

たくさん、怒っていいし
たくさん、泣いていい。

抑えなくていいし
言いくるめなくていいし
聖人君子にならなくていい。

怒ってるあなたが
あなたのすべてじゃない。

泣いてるあなたが
あなたのすべてじゃない。

それは、あなたの一部でしかない。

怒っても、泣いても、
あなたの価値は変わらないし
あなたの強さは減ったりしない。

だから、安心して
そんな自分も認めてあげてほしいな。

一人じゃ難しいなら
信頼できる人に伴走してもらってね。

私で良ければ
私に声かけてね。