私ね
誤字脱字にものすごーく気づくの。
光って見えるし
なんか気になるんだよね。
情報伝達されたときのヌケモレにも
敏感に反応するの。
5W1Hとか
仕上がってないと、???となる。
話している内容よりも
たった一言が気になって
他の内容が入ってこなかったりする。
専門用語もそうだし
なんか淀んだときとかね。
この才能が、嫌だった。
もっと俯瞰して見たかったし
重箱の隅つついてるみたいだし
できる自慢してるみたいだし。
昔、お母さんから
「揚げ足取らないで」
って怒られたことがあって
(さっき思い出した)
『私はお母さんを
笑顔にしたかったのに』
って、ものすごーく悲しかったみたい。
今思えば
優等生でいないといけなかったから
要領がよかったお母さんと
勉強が好きすぎて
結果的に優等生をぶっちぎった私は
そもそもの個性が違っていたのに
私の記憶の中では
『才能を発揮すると誰かを悲しませる』
というのも根深かったから
発揮しようとすると
なぜかこわさが強くなって後ずさる、
みたいなことが
現実化したのかもしれない。
さっき、お風呂の中で
最近やってるセルフヒーリングしたら
今までにない体感があって
さっき、別の動画配信で
周波数あげてもらったおかげか
今日のイベントサポートが
楽しかったからか
今日、突然歌わせてもらって
心が震えたからか
私の才能ってこれだったわ、
って思い出せたの。
俯瞰できないのは
ものすごい近くから
眺めているからだった。
ものすごい近くで眺めているのは
あなたを構成する要素たち。
特に得意で好きなのは
『好き嫌いの分解』。
「おにぎりが好きです」
って言われたら
・どこのお米?
・お米の硬さは?
・のりは硬い?やわらかい?なし?
・塩はかける?
・どこの塩?
・形は?
・具材は?
・どうして好きなの?
・いつから好きなの?
って、気になることが溢れてくる。
「この人が嫌い」だとしても
本当に嫌いなのは
その人のすべてじゃなくて
その人の価値観や行動だよね。
野菜が嫌い、ではなくて
セロリが嫌い、なだけ。
セロリが嫌いだから
野菜が嫌い、ではないよね。
だから安心して
『嫌い』を感じていい。
どんなに素敵な人にも
嫌いを感じることはある。
どんなに嫌いな人にも
素敵さを感じることはある。
そんなものだ、にんげんだもの。
あとね
好きが強いものほど
その人の独自性がばっちり入っていて
それを知れることが
宝探しみたいで、最高に幸せだ💕
好きなものによっては
私の知識が追いつかなくて
申し訳ないな〜ってこともあるけど
その人の、その知識が
どれだけ膨大に広がっていて
私に見えていないのか、は
はっきりわかる。
見えているところの濃度と
相手の話し方から逆算すれば
今、私に見せてくれてるのは
頂上までの二合目かな?もっと?
みたいなことはわかる。
それってきっと
私がものすごーく細かく見てきた分
その結果のデータが
教えてくれてるんだよね。
思考の強い人にはかなわない。
考えるのが得意な人にはかなわない。
でも
第一印象の感覚が最後まで正解するのは
当たり前にそうなる事実。
見たらわかる。
話を聞いてたらわかる。
それが私の独自の才能。
わかるからといって対処するかは
別の話。
わかるからといってツンツンするかは
別の話。
だとしても
わからない、ではないことを
ちゃんと認めてあげようって思うの。
わかってるよ。
でも、聞かれるまで言わないよ。
話したくなったら話したらいい。
いつでも、待ってるよ。