美空です。

人に言いたいことは
自分に言いたいことである、

ということを

今朝、ある人とのやり取りで
改めて感じた。

最近、私が伝えたメッセージを
振り返ってみたら

『他の人の人生を背負わなくていいよ』

ってことばがヒットしてね。

私は、誰の人生を背負ってるのかな?

って考えてみたら

お兄ちゃんのことを思い出して

途端に号泣した←つまり魂的に正解

クローバー黄色い花クローバー黄色い花クローバー黄色い花クローバー

私は

お兄ちゃんより幸せにならないように
していた。

お兄ちゃんは

一人暮らししてて

実家にもなかなか帰ってこなくて

まだ結婚してなくて

お見合いした人に婚約破棄されて

鬱になったらしい、と聞いてて

会社もやめたらしい、と聞いてて

(あまり話さない人だから
 お母さんからの伝聞なんだけど)

私からしたら

『かわいそうな人』になっていた。

大好きなお兄ちゃんより

幸せになってはいけない。

私のほうが幸せになったら

お兄ちゃんに嫌われてしまう。

そんなふうに

無意識に考えてしまった結果

私は

自分に制限をかけた。

あぁ、

無意識すぎて

全く気づけてなかったよ。

『幸せになる勇気』って

このストッパーを気づけないと
発揮できないと思う。

誰に対して申し訳なく思ってるのか。

誰に嫌われたくないと思ってるのか。

そこが特定できると

行動につなげることができるから

一気に浄化が起きていく。

私は

お兄ちゃんのことを
かわいそうだなんて思うのはやめる。

だって

かわいそうかどうかはわからないし

お兄ちゃんはお兄ちゃんなりに

自分で選んだ人生を送ってるだけだし

どうせ大丈夫だろうから

信頼するしかないんだ。

お兄ちゃんが
自分の課題をクリアする体験を

私は奪ってはいけない。

もし仮に

以前のように

「いつも美恵ばっかり」
って言われたとしても

お兄ちゃんにしてみれば

その嫉妬(憤り)の奥にある
『自分もこうしてほしい』を

表現するチャンスでしかないから

別に

私が我慢する筋合いはないんだ。

私が我慢しても

どうせ誰も幸せにならない。

それよりも

少なくても私は

自分で自分を幸せにするやり方を

体現していく方がいいに決まってる。

どうして私が

あの家族の一員として生まれたのか。

それは

私が代々受け継いできたカルマを
断ち切る存在なのだと

なんとなく感じていた。

と同時に

私にはそんな力なんてない、

と諦めてもいた。

だけど今は

なんとなく、腑に落ちている。

うちの家系に受け継がれてきた

我慢する美徳や
察することを求める姿勢や
一人で頑張ろうとする癖を

私がそうできないことで

影響を与えることができるとすれば。

…わからないけどね。

本当のところはわからないけど

私が自由に幸せになることで

もしも

家族が幸せになるのかもしれないなら

それをやってみても
いいのかもしれないなぁって思ったの。

うちの家族は

きっと大丈夫。

だって

私の家族だもん。

こんな私を
ずっと支えてくれた両親だし

その両親に育てられた
お兄ちゃんだもん。

私はもう

心配なんかしないよ。

信頼していることにするよ。

だって

頭が良くて

優しくて

素直なお兄ちゃんだから

大丈夫に決まってるのだ。