1.17・・・この日が来ると、阪神・淡路大震災で焼け野原と化した
長田地区の瓦礫の中を歩く黒田さんの背中を思い出す。
皆に「おっちゃん」と親しまれ、かつて「黒田軍団」と呼ばれた読売新聞大阪本社
最強の社会部を率いた庶民派ジャーナリスト故黒田清さんだ。
極限状態の中、被災した方たちの取材ほど難しいものはない。
マスコミの興味本位と取られても、被災者の立場から言えば当たり前のこと。
黒田さんは大学ノートとペンを持ち、地べたに腰を下ろして、そっと被災者に寄り添った。
『大事なことは、ジャーナリズムはそれでも現地を見なければいけない。
特に現場で生きている人を見なければいけないということである。
見に行くことは、悲しみに行くことなのだ。
心の中を涙でビショビショに濡らしに行くことなのだ。
つらいことであっても、それがジャーナリズムには何より大切な、基本的な仕事なのだ。』
黒田清「窓友新聞」1995年2月号「震災報道を検証する」より
黒田さんに一度だけ飲みに連れて行っていただいたことがある。
カラオケが大好きだった黒田さんと当時の番組出演者で大いに歌って盛り上がった。
もっともっと、いろいろな事を教えていただきたかった。
黒田さん、あれから早16年目の1.17です。