小鳥遊透(たかなしとおる)
それが俺。
可愛らしい名前だろ?
っていうか、俺、見えてる? あんたらに。
「……見えてるはずねえか」
自嘲気味に俺は笑う。
見えてるはずないんだよ、みんなに。
だって、俺。
「透明だし」
そう、透明人間。
小説みたいになんかの薬使って、人工的になったやつじゃない。
天然物の、透明人間。
「あ、時間だ」
時計に目をやって、俺は小さなバッグを手にして部屋を出る。
バッグの中には、特殊な塗料が入っている。それと筆。
木目のドアを強めにノックする俺。
「入るぞ」
相手の返事を待たずして、俺はズンズン部屋の奥へと足を進める。
「んー? もう時間か? 今日はずいぶん早くないか?」
ひげでぐちゃぐちゃな顔をゆるりとこちらに向けた、一人のオッサン。
「仕方ねえだろ。今日、日直だし」
「ふあ……ぁ。日直、ねえ。……なんだかんだって真面目だよな、お前は」
後頭部をガリガリ掻きながら、オッサンが手を伸ばしてくる。
「よこせよ。今日も特別イケメンに仕上げてやっから」
そういい、俺の手からバッグを取り上げた。
「普通でいいって」
言いながら、ベースになる肌色だけオッサンから奪って顔中に塗りたくる。
「そっか? 好きに整形できるって、お前だけの特権だぞ?」
「特権? 冗談だろ?」
ため息を吐きながら、俺は近くの椅子に腰かけて、目を閉じる。
「簡単でいいよ」
そう言ってから、いつものように無言になった。
耳から、いつもの筆の音が入ってくる。
鼻からも、いつもの匂い。独特の、塗料の匂い。
肌を滑ってく、筆の感触。
何年経っても慣れることなく、くすぐったさをこらえるのが大変だ。
「なあ、透」
「ん?」
オッサンが話しかけてきた。
俺が短く返すと、
「お前さ、自分の顔、自分には見えてるって言ってたよな?」
そう確かめてきた。
「……それ聞いて、どうすんの?」
この質問は、もう飽きた。
「いや、さ。ほら、自分の顔に落書きされてるようなもんじゃん。……どうなのかな、ってよ」
「どうって?」
「だから、顔に顔が重なってるみたいな、さ」
「別に何も感じねえよ」
「変な感じになんねえの?」
「……ならねえ」
「だいたい、俺が手探りでこうしてるより、お前が自分で描いた方がいいんじゃ」
「美術2だって、知ってんだろ? 毎朝ピカソの絵みたいな顔で行けってか?」
「いや……そうじゃなく」
「なに? めんどくさくなってきたなら、もう頼まないけど」
「いや、そうじゃなく、嫌とかってんじゃなくさ、素朴な疑問ってやつで」
「その素朴な疑問、何回聞いたら飽きるわけ?」
こうしてケンカっぽくなるのも、いつものこと。
「わかった、わかった。俺が悪かった。だから機嫌直せよ」
「こづかいくれたらね」
「ったく。毎朝手伝って、逆に金取られてばっかだな? 俺」
「その話をしなきゃいいだけじゃん」
俺が笑うと、オッサンも笑う。
「んな話をしてる間に、終わったぜ。こんなもんでどうよ」
そういってから、仕上げのかつらをポンとかぶせた。
「いーんじゃねえの? どうせ……」
と言いかけ、「なんでもねえ」と言葉を引っ込める。
これも、いつものこと。
「ありがとな、オヤジさん」
「行って来い。俺はまた寝るけど、勉学に勤しめよ。ガキ」
口は悪いが、俺の理解者の一人。
俺の、実の父親。
芽も花も咲かないままの、名もなき芸術家。
毎朝俺に顔を作ってくれる、理解者。
「いってくっから」
「おう」
オヤジの部屋を出て、洗面所で顔以外の場所に塗料を塗りたくる。
そうして、見かけだけ俺を形成していく。
特殊なコンタクトを入れると、俺以外には空洞に見えてる目が姿を現わす。
このコンタクトも、なかなか慣れることが難しい。
「ここまでしなきゃ、普通以下だもんな」
コンタクトで痛む目に目薬をさしてから、俺は家を飛び出した。
表情の変わらない顔。
どこ見てるんだかわからない瞳。
それでもいい。
俺はみんなと同じように過ごしたい。
ただ、それだけなんだ。