はっぴぃりんくこみゅにけーしょん
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解散します

はっぴぃりんく 理事長 藤原です。


はっぴぃりんくは、現在解散手続き中です。

6月16日をもって解散のための清算人登記を完了いたしました。


設立から7年、長いような短いような期間でしたが

私たちにできることはかなり頑張ってきたと思います。


主婦の集まりでしたので、それぞれの家庭の状況の変化と共に

活動できる時間や日時にも制約がでてきました。


これ以上は、活動していくことが難しいと判断したため解散することにしました。


一緒に活動した皆さん、陰ながら応援してくださった皆さん、ありがとうございました。

春の夜に

こんにちは、沖です。


居間で一人焼酎を飲みながらテレビを見ていると、2階から降りてきたR(高2の息子)が顔だけ出して「何

を見とるだあ」と問うので「まっすぐな女」と、私。
Rはテレビを一瞥すると、やれやれ、という表情で「『曲げられない女』だし」。
あらら、ほんとうに、いつもながらにやれやれ、です。


今年の冬はもうとにかく寒く感じることしきりでしたので、おコタでテレビを見ていました。
で、スゴくはまってしまったのが「ロングバケーション」。
そう、言わずと知れた1996年放送の月9ドラマです。
鳥取のほうでは最近再放送がありました。
私は、放送当時には見ていなかったため、今回が初めてだったんですが。


放送終了後も毎日何度も動画サイトに行って

(録画していなかったため)繰り返し見ては心ふるわせています。
そして、私は(木村拓哉さん演じる)瀬名くんに恋をしたのです。
あーあ、ほんとDVDBOX、買ってしまおうかしら(汗)


それにしても、自分でお金を稼げるようになって、
あんなふうに時間もお金も自分の自由に使えて、
ひたすら自分と彼のことだけ考えていてもいい時期って、
女の人の一生の中で見ればなんて少ない期間なんだろうと、ふと驚いています。


例えば今回読み終わった『仮想儀礼』(篠田節子 著)では、
ただ金儲けのために始められた宗教のもとに訪れた年配の主婦は
“論点がはっきりせず、果てのない愚痴としてしか語られることのない彼女たちの悩みに、家族は本で耳を傾けてはくれない。家族の中心にいて家族の生活を守っているはずの彼女たちが、その家庭内で孤独に陥っている。”からだと、主人公が見て取ります。
寒気のする箇所です。
だとすれば、ロンバケのような時を持った何十年後かに、
その年配主婦のような時を持つ可能性もあるということなのでしょう。


この『仮想儀礼』、上下巻と結構ボリュームがあるものだったのですが、
かなり熱くなって読んでしまいました。
そして読み終わった後、クールダウンにと手に取った日経パソコン、
今回の特集「日本語入力の新常識」もなかなか面白かった。


“読みを入力して変換キーを押す、

変換が間違っていたらBack Spaceキーで削除して入れ直すという繰り返しでは、

いかにも効率が悪くもったいない。”
おお、私だ、私だ、確かに気にはなっていたのですがね。


加えてそこには
グーグルも日本語入力ソフトのベータ版を出しているとありました。
で、そのグーグルの日本語ソフトで例えば「まとを」と入力すると
サジェスト機能が働いて変換候補に「的を得た」と出てくるんだそうです。
私はATOKを使っていますが、「的を得た」と入力すると「『的を射た』の誤用」という注意書きが出てく

るのですけれど。


そうです。「的を得る」というのは日本語として誤りです。
しかし、このグーグル日本語ソフトの変換辞書は大量のWebデータが基になっているため、このような誤り

をしているのだろうということです。
つまり、グーグルの検索サイトでは「的を射る」より「的を得る」のほうが

圧倒的な数でヒットするからなのです。


ふーん、そういうことなのね、
そういえば『曲げられない女』の主人公はこういう誤りを許さないし。
そんなこんなでつらつら過ごしていると、
春色に向かう夜はなんだか心地よく、眠ってしまうのがもったいないです。

母の本

こんにちは、沖です。


いつものように寝っ転がって日経パソコンを読んでいたR(高校生の息子)が
「Chrome OSってブラウザーのみで、それ以外はWebアプリケーションなんだって」と言うので、私が「グーグルは、『こちら側』でなくて『あちら側』で処理するほうが合理的だという考え方のようだからね」と返すと、「あ、それ、『ウェブ進化論(梅田望夫 著)』っていう本に書いてあったし」と。


どうやら最近、Rは私の本棚からときどき本を取り出して読んでいるらしいです。
次は『生物と無生物のあいだ(福岡伸一 著)』を読むつもりだと言っていましたが、
この本に関しては、“野口英世が実は医学上の貢献など少なくてトラブルの多い人だった”というような部分しか思い出せなかったので、「ん、いいんじゃない?」としか言えなかったのだけれど。


先日、CATVで『ALWAYS 続・三丁目の夕日』を観ました。
洗濯物を洗濯機の横にあったローラーで絞るやつ、
あれ、私も子どもの頃に使ったことがあります。


そしてテレビと同じで、小さな頃は母親が洋服をつくってくれていました。
私の亡くなった母親は、
そんなに料理上手だったようにも器用だったような覚えもないのですが、
私には洋服をよくつくってくれていました。


お姫様みたくフワフワのスカートがいいとか、
向日葵が大きくプリントされた布地でワンピースをつくってとか、
好き勝手なことばかり言っていましたが、
結構注文どおりに縫ってくれていた気がします。


これまたテレビにも登場した足踏みミシンでカタカタと母が縫っている横で、
当時の愛読書「りぼん」や「なかよし」を話題に、
私が延々としゃべっていた光景まで思い出されます。


ちなみに私も全く器用ではないのですが、
ミシンを使うことだけはそんなに嫌いではありません。
初夏に生まれたRが初めての冬を過ごすとき、
暖かいようにとキルティングの厚めの布地でつくったつなぎの服を見た夫いわく
「うーん、まるで宇宙服だなあ」(笑)、だったのですが。


ただ、私の母親が本を読んでいた姿は、あまり記憶にないのです。
たまにゆっくりした時間には、縫い物したり編み物したり、だったような。
母はどんな本を読んできて、どんな物語が好きだったのか、
聞いておけばよかったなあと、いまさらだけど思ったりしています。

カニ汁

こんにちは、沖です。


フーフーとしながら「ああ、やっぱりカニ汁はおいしいね」と、
今シーズン初めての親ガニ入り味噌汁がわが家の食卓に上りました。


さて、最近は「寒くなったなあ」とノロノロ起き出して、家族の弁当をつくり、
洗濯機を回し、朝食をつくります。
出勤のため、お化粧をします。


夜には、洗濯物を片付け、食器を片付け、お弁当箱も洗い、お化粧を落とします。
部屋が散らかっていれば、掃除機などかけてみます。


そして翌日には、昨夜洗ったお弁当箱にお弁当を詰めて、お化粧もして、
新たな洗濯物を洗濯機で回して、片付けた食器にまた食事を盛ります。
ゆうべ掃除機をかけた個所には、既に新聞広告が散乱したりしています。


工場の流れ作業でいうと、ベルトコンベヤーで次々作業が加えられれば
最後の行程を終えれば商品が完成します。一丁上がりです。
なのに、食器を洗ったり、お化粧したり、掃除機をかけるという作業は
ただぐるぐる回っていて、一丁上がりの商品がなくて、エンドレスで…


けれども、これが生活というものなのです。

あーあ、何、つまんないこと考えているんだろうと、我に返ります。
そんな、こんなおかげがあって、おいしいカニ汁も堪能できているのです。


私には、お酒のために家族も職場も失った知り合いの男性がいます。


事情があって定期的に連絡をとっていたある日、
その男性から驚きの言葉を聞かされました。
「もう酒は飲んでいない、飲みたくもない」と。


子どもや妻が去っていって、職場にもいられなくなって、
それでも毎日お酒を飲み続けて自暴自棄の日々でしたから、
この人にはお酒を断つことなどできないと、私は思っていました。


それに、私はその男性のことが好きではありませんでした。
でも、その言葉を聞いたときあまりにもうれしくて、涙が出てきました。
確かにそのとき、アルコールを含んでいない声だと分かりましたし。
いつもより少し長い電話になりました。
断つきっかけになった出来事や、状況をぼつぼつと話してくれました。


私は、その男性がきちんと三食の食事をとって、食器を片付けて、
部屋を散らかしたら掃除する、
そういう普通の日常生活を取り戻せることを心から願っています。
カニ汁をほっこらと飲みながら、
ああ、冬がきたなあと感じられるときがくればと、願ってみるのです。

大丈夫なのかなあ…

こんにちは、沖です。


水道橋博士さんの「博士の悪童日記」の中で紹介されていた
ひろゆき さん(前 2ちゃんねる管理人)のブログにあったという挿話に
なるほどなあと、感じ入ってしまいました。少し長いですが、以下コピペで―――


ある大学でこんな授業があったという。 
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。
壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、
教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、
岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。


教授は「そうだ」と笑い、
今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。
彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」


一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、
 いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。


「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
 大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、
 その後二度とないという事なんだ」


君たちの人生にとって"大きな岩"とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、
家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う"大きな岩"とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。
さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、
つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、
その結果それ自体失うだろう。
                          ―――― 以上です。


わが家の息子Rの日常生活、
どう見ても優先順位が圧倒的に間違っている気がします。
彼にとっての"大きな岩"を探している時だとでもいうのでしょうか。


「なんだかなあ~」という言葉を飲み込む代わりに
ふぅ~と長いため息をついてしまうこのごろなのでした。

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