アドラー心理学ELM勇気づけトレーナー 本橋悦子です。


今日は一区切りがついた裁判について今の私の気持ちを書いてみました。


大まかなことはプロフィールに書いてありますが、少しずつ息子については書いていこうと思っています。




4年前に息子が交通事故に遭って、刑事事件としては、不起訴になったので、私たち夫婦は民事で裁判を起こしました。


約2年ほどが過ぎ、今月上旬、判決が出ました。


控訴するかどうかを話し合った結果、今回の判決を受け入れることにしました。


「やっと終わった…」


やっと終わったけど、やったーやったーという清々しい気分にはならず…


判決を受け入れて、やっと裁判も終わったと思ったあたりから、4年前の事故当日や当初のことがフラッシュバックのように思い出されて、胸が締め付けられるような気持ちになることがしばしばありました。


判決がでたけど、息子の状態が事故前に戻る訳もなく…

事件は終わったけど、私たち家族はこれからもずっと背負っていくものがあって…


でも、私は今回の判決も、息子のことも、すべて受けれていこうと思いました。

それが今の私にできることだと思ったから。

いろいろな感情が沸き上がってくる中で頭に浮かんだ言葉は


許す


です。


息子が事故にあってからしばらくはとても不安で、とても絶望的な気持ちでした。

4年という月日の中で私が感じたのは、子どもが息子のようなひどい事故にあったり重い病気にかかったりすると親は間違いなく成長するのではないかと思います。


なぜ自分の子がこんな目に…

という葛藤の中で、生と死について、人生について、運命について、宿命について、非常に深く考えることになるからです。


事故に遭ってしばらく息子は意識がありませんでした。

主治医からも

「もう意識が戻らないかも…」

「右側が麻痺で動きません。もし意識がもどっても寝たきりになるかも…」

と言われたことも。

そんな時、


「息子はこんな自分を育てられるのは、私たち夫婦しかいないと思って、私たちのところに生まれてきたんだ。」


そんな風に思うことがしばしばありました。

このように自分たちにとってどういう意味があったのかと考えることが大事なのだと思います。

でも、無理やり納得しなくても、納得させようとしなくてもいいんです。

少しずつ受け入れることが大事なのかと。


これは、自分の子どもの死であったり、重症の病気になったり、大変な事故にあったりという究極の場面だけでなく人生のあらゆる面で必要なことだと思います。


毎日生活していく中で、楽しいこと嬉しいことばかりではなく、面白くないこと、嫌なこと、納得できないこと、どん底にいるような気持ちになること、たくさんのことがあります。


それには、すべてに意味があります。

でも、ネガティブな意味ではありません。

すべては、ベストな状態で起こっていて、それは、自分の魂のステップアップのために必要なことなんだと思います。


私が今こんなふうに考えられるのも、これからの輝かしい未来のために、4年前にとても辛い経験をしたんだと。

ここから私はたくさんのことを学び、たくさんのことを考え、そしてたくさんの数え切れない程たくさんの人たちに助けられて、勇気づけられて、『人』を知ることができました。

そして、『自分』のこともすこしづつ…


今は、すべての人に感謝しかありません。


今までありがとうございました。

そして、これからもよろしくお願いします。