*あくまで個人の考えです。
*本稿は過去の限定記事を再編集したものです。

元ネタ記事


国語の問題は論理的に解くものである、というのは本ブログでも何度か書いています。解答の技術的にはそれで良いのです。
では何故、入試科目に国語があるのかという視点から考えてみると、問われているのは「文章の読解力」よりももっと深いところ、「他人の思考を読む能力」であると自分は考えます。

過去の記事から引用すると、



国語の試験において「本文で筆者が言っていることを根拠に解答する」でも、まだ足りないように思います。
本文で筆者が主張していること、あるいは筆者が登場人物の言動や情景描写に仮託して述べたいことを、『問題の作成者』がどのように解釈し、何と答えて欲しくて問題が作られたのか、『出題者の意図』を理解して答えるではないかと考えます。

一言でいえば「出題者に忖度する」

そして、国語の過去問演習の本質的な目的とは、「出題者への忖度」の訓練、つまり過年度の入試問題から中学高校の教員の「作問のクセ」を読み取って、どんな解答が期待されているのかを理解することではないか、と思います。



国語の問題の作成者がどんな意図を持って問題を作っているのか、どんな意図で問題に使う文章を選んだのか、その文章を読んで出題者は何を考えたのか、出題者はどう答えて欲しくて設問を作ったのかなど、出題者の立場に立って問題を俯瞰し、出題者の思考をトレースできる能力が問われているそれが中学受験に限らず、国語の入試問題の本質であると考えます。

別の言葉で表現すると、

自分を含め、状況を客観視することができ、相手の立場に立って考えることができる、メタ認知能力が問われている

と言えます。
そしてこのメタ認知能力の高さは学習適性の高さだけでなく、社会に出て仕事を遂行する能力にも繋がっていると考えられているので、メタ認知能力を問う国語が入試科目にも採用されている、自分はそう考えています。

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