今年もまもなく紫陽花の季節がくる。

私が生まれた月だ。

 

 

 

そうだ。

あの日も何一つ変わらない一日が始まるはずだった。

 

一週間を終えて、

やっと土曜日を迎えた晴れた朝。

めったにかかってこない兄から着信がある事に気づく。

 

  「電話をかけても一向に電話に出ない」と兄。

 

父が亡くなって早8年が経ち、

目、腰に問題はあるが子供たちに面倒をかけないようと

84歳の実母は独りで生活していた。

 

  「水曜日、電話で話したよ。元気だった。庭に出てたりするのでは?」

 

変な心配をしたくない理由を自然に声にした。

 

  「念のため、今、実家にむかってる」

 

私も母の携帯と家電に何度もコールする。

  

  『またね。また電話するね』

水曜日に、母と約束した。

でも、携帯と家電に母は二度と出ることがなかった。

 

  「ダメだ。」

 

兄のその言葉を数分後に聞くこととなった。

 

一体これは現実なんだろうか。

今、自分がどんな状態にあるんだろうか。

頭が真っ白になっていた。

 

旦那様が状況を把握したらしく

  「早く行こう」

と私に声をかける。

私は、駄々をこねる子供のように

叫び、座り込んで足をバタバタとしていた。

胸が痛くて倒れそうだ。

 

やっとの思いで、最小限の身支度を整え実家へ向かう。

アメリカに赴任している次男兄夫婦に連絡をするが

しっかりものの義姉もさすがに変な冗談にしか受け止めなかったほどだった。

 

 

 

何故?

何処も悪くなかったし、元気な声を数日前に聞いたばかりだったのに。

なんで?

繰り返し繰り返し問いかける。

 

 

実家の近くにパトカーが停まっていた。

玄関の扉を開けると

警官と刑事が数人、私を迎えた。

そして兄の姿があった。

 

これはやはり現実だったのだ。

 

  「二階で倒れていたよ」

 

兄がそう言うと

暫くして一人の刑事が私に現場写真を見せた。

衝撃すぎたのだ。あまりにも。

 

ドラマで見たようなシーンがそこにあった。

所謂”事件”か”事故”かの現場検証なのであろう。

勿論、”事故”であるけれど、

この時点で母と対面する事は私にはできなかった。

母の姿を直視できるほどの状態ではなかったから。

洗濯物がベランダに風に揺れていた。

 

この後、警察にて母と対面する事となった。

うつ伏せに倒れた痛々しい母の顔を見て、私も倒れてしまった。

 

どんなにか痛かっただろう。

苦しかったかもしれない。

誰かを呼んだのかもしれない。

最後に何かを言ったのかもしれない。

聞いてほしかった言葉があったのかもしれない。

 

そして3日間も独りぼっちにしてしまった。

まだまだ寒い日が続いていた。

 

寒かったよね。

寂しかったよね。

ごめんなさい。

ごめんね。

 

母の葬儀に向けて

坦々と進められていく。

今は、それしかなかった。

 

アメリカから次男夫妻が帰国して

葬儀と共に家の整理も進められていく。

こんな時、本当に兄達の存在は大きい。

企業で一会社員として働く男性の存在は

こんなにも頼れるものなのだと実感する。

私一人だったら、何もできない。

ただ、オロオロしているだけに違いない。

無力だ。

 

葬儀まで会社は休暇をもらい、

母の形見として受け取った真珠のネックレスを着け

葬儀を迎えることとなった。

祭壇は大好きだった花で飾られており

父の時同様、私が選んだ笑顔の母の遺影

が皮肉にも私たちを迎えてくれた。

 

終始私は泣きじゃくっていた。

時に肩を揺らしながら

時に支えてもらわないと立てない状態

時に我を忘れたのかのように母を追い

 

 

 とても優しい人でした。

 自分のことは後回し、子供一番な母。

 これからは兄妹達で力を合わせて生きていきます。

 

いつも言葉少ない兄が

母を思い挨拶をし

誰もが涙した瞬間だった。

 

天国へ行った母は、きっとその姿を見、言葉を聞いてを

何より喜んでいることでしょう。

兄妹が仲良く手を取り合う事を望んでいたから。

 

 

誰よりも

私の最大の理解者であり

最大の応援者だった母。

 

自分の親が先に旅経つのは自然な事で

誰もが乗り越えなければならない

 

家主が不在であっても、

母を元気に送り出すかのように

綺麗に咲いた梅やハナミヅキ、スズラン達。

 

玄関を開ければ、

実家の香りと

今でも母の声が聞こえてくるようで

胸が痛む。

母が倒れた場所は

今でも気配が残っていて

あの時に戻ってしまう。

実家を後にする時には

いつも母が私達が見えなくなるまで

手を振っていた。

 

逢いたくて、でも逢えなくて。

こんなにも苦しいなんて。

 

母が残した父の病闘日記。

独りで苦しみ葛藤していたなんて。

私が受け止めて、私が母と共に弔ってあげよう。

 

母の存在が私の中で大きすぎて

今も尚

胸が痛んで苦しい。

感謝と安らぎの気持ちで母を送りだすのには

まだ時間が必要かもしれない。

 

こんな情けない娘でごめんね。

だけど、

だけど

やっぱり、あなたの声が聞きたいし

あなたに逢いたいです。