【 19 】

 
 
 
12月 25日     15:28

 
 

署から絵画教室までの所要時間-----20分

新潟中央署は新潟県内で最も管轄区域が狭い警察署であった。

 

雑居ビルの入り口には貼り紙がしてあった。

 

--- 絵を愛する人間、集え  ☆  アトリエ佐山---

 

二人が狭く急な階段を四階まで上りきると、木彫りの小さな看板が壁に掛けられてあった。


『アトリエ佐山』


濃茶で表面の剥げた扉を益田がノックすると、すぐに「入ってきてくれ!」と大きな声が飛んできた。

扉を開くと、濃密な匂い-絵の具・油・シンナーの織り交ざったもの-が鼻を突いた。

ビルの構えに比べ、中は思ったより広い空間であった。

仕切りがあり、手前が八畳ほどの事務室、奥がカーテンで二つに区切られたアトリエ、という造りだ。

仕切りで見えないが、アトリエは事務室よりかなり面積があるようであった。

 

「お邪魔します。先程お電話させて頂いたものですが・・・・・」


パーテーション一つ隔てた事務室に人影が見えた。

益田はもう一度大きな声で人影に向かって声を掛けた。

ネズミが囁くかのような、紙が擦れる小さな音が聞こえてくる。

益田がもう一度口を開こうとした瞬間、出麹がそれを制し、パーテーションの右から中を覗き込んだ。

 

一人の男がこちらに背を向け、机でペンを走らせていた。

このアトリエの主、佐山義人であった。


「失礼しますね、佐山さん」


出麹は佐山の背中に許可を取り、パーテーションの中へと足を踏み入れた。

事務室に入ってまず目につくのは、圧倒的な書物の多さである。

部屋を取り囲むように並び立つ書棚には、背丈の異なる数々の本が雑多に並んでいた。

すべてが絵画に関するものなのか、そのあまりの数の多さに皆目検討がつかない。

ただ書物を含めモノが多い割には、最低限の整理はなされているようであった。


「県警の出麹と申します。ご多忙のところ、恐縮です。沢村美穂さんがここに通っていたと聞き、話を聞かせて頂きに参りました。手間は取らせませんので少しだけお時間、よろしいでしょうか?」


出麹は短い挨拶と端的な用件を抑えた口調で伝えた。

出麹の言葉が静かな空間に低く響いた後も、しばらく佐山の手が小刻みに動いていた。

筆圧が強いのか、机に微小な振動が伝わっている。

そのまま何も言わないで待っていると、佐山は作業が終わったのか少し上体を起こし、牛蛙のようなうめき声をあげて伸びをした。

窓から射し込んだ薄日が天に伸びた両腕を照らしている。


「沢村美穂さんのこと、ご存知ですよね?」


益田がもう一度佐山に問い掛けると、佐山はペンを置き、ようやくとこちらに体を向けた。

二人はその顔を見て驚いた。

裕美子から聞いていた話では、佐山の年齢は四十半ば、とのことであった。

だが今ここに座っている人間の容姿は大きく窪んだ目、そこから放射状に伸びる深い皺、頭髪は大部分が白く、六十歳といわれても、何ら違和感はない。

陽光に照らされた肌はガッシュ(不透明絵の具の一種:水で溶いたアラビアゴムを接着剤にした顔料:艶がない)をひと塗りしたかの如く、乾いている。


「知っておるよ・・・・・」


佐山は出麹と益田の両方の顔をじっとり見ると、やがて顎ヒゲを触りだした。

窪んだ瞳に黒目が浮いている。

熱に浮かされたような表情からは、ほどんど感情が読み取れない。

短い首が水色のセーターに埋もれている。


「一昨日、日曜日の午後5時頃、美穂さんがここを出られたのは間違いないのですよね?」

「・・・・・・・ああ、間違いない。昨日来た人にも言ったはずだが・・・・・」

「あなたは美穂ちゃんのお父さんとお会いになられましたか?」

「・・・・・・・ええ、野球のユニフォームを着ていたよ・・・・・・・」

 

おもむろに佐山は立ち上がり、皿の上に大量に盛られていた煙草に手を伸ばした。

出麹はその表情と指先を注視した。

指は絵の具がこびり付いているのか、薄汚れている。


「その日のレッスンは何人受けていましたか?」

「日曜日は・・・・・美穂ちゃん、ただ一人だ」


益田がメモを取りながら、質問を投げ掛けている最中、出麹は一度たりとも佐山の表情から目を離すことはなかった。

それは佐山に嫌疑をかけていたという訳ではなく、彼と対峙するとすこぶる不可解な気分にさせられたからだ。

***佐山の記録---出麹の日誌(1980/12/25)より***

--------何も考えない故、思考・感情が読み取れない人間がいることは知っている。口角が上がっている類の人間・・・・・だがこの佐山という男は、不気味。表層から皮がはぎ取られ、感情の窓として露出している瞳には、何ら色が浮かばない・・・・・灰色・・・・・変化を知らない灰色・・・・・心が架空の巷をさまよっているのか---------



「・・・・・・・捜査御協力、ありがとうございました」


気がつくと益田の手帳が端整な文字で埋め尽くされていた。

益田が終了していいか、と出麹の顔を一瞥した。


その瞬間・・・・・唐突に佐山が歩き出した。


「ちょっと・・・・・あんた、こっちに来てくれ・・・・・」


佐山はおもむろに立ち上がり、出麹の肩に一瞬手を置いた後、ゆっくりとパーテーションの向こう側に回り、アトリエへと入っていった。

出麹と益田は顔を見合わせた。 

出麹は益田に待機を命じ、佐山に続いてアトリエへ入っていった。

 

アトリエにはより一層の重い空気と匂いが立ち込めている。

佐山はカーテンを押しのけ、幾つかあるスイッチの内の一つだけを押した。

アトリエの一角に灯りが点された。

周囲は布で覆われ、壁や窓が見えない。

様々な絵の具の痕跡が残る地面を靴で蹴ると、一群の埃がふわりと舞い上がった。

 

佐山は画材置き場から二十号ほどの小さな絵を持ち出してきた。

その絵を一頻り眺めた後、佐山はくるりとそれを反転させ、出麹の前に差し出した。

受け取った出麹は、佐山を一瞥した後、絵に視線を移した。

 

 

「沢村美穂が昨日描いていたものだよ」

 

 

佐山は呪詛の如きくぐもった声を出麹に吐きかけた。

 
  
 

・・・・・コレガアノトキイッテイタ、アニヘノオクリモノ・・・・・