さて 15歳で留学。
英語は話せたのか?
よく聞かれます。
いえ、全く話せませんでしたよ(笑)
父は英会話教師だったのでヒアリングには自信あったけど、現地の人は早くて聞き取れませんでした😭
でもなんとかなるもので、1、2週間ほど現地のラジオやTV聞いてたら聞き取れるようになってくるんですね。
耳が慣れてくると、次は必然的に喋りたくなる。
(日本人なんてひとりも居ないから、英語喋らないと生きていけないってのもあるけどw)
あの、頭につくメロディーを、無意識に口ずさんでいる感じでしょうかね。
ある意味 スピードラーニングは理に叶ってるかも? 聞いたことないけど。
でっかいCDラジカセ持って、髪型や服装はトランクスで、中学卒業したばかりのアニオタな英語話せない15歳…いざカリフォルニアへ。
ウェッサーーーイですよw 今、思えば無謀すぎ。
1992年春アメリカに着き、ビバリーさんという白人老夫婦の家でホームステイしました。
(ビバリーご夫妻の愛用車はクリームイエロー色のキャディラックw)
まぁ そこでラジオで始めてHipHopを聞いて、ときめいちゃいました。ドハマりしましたよ。
それが、Kris KrossのJumpという曲でした。
トランクスから、ヒップホッパーに転身(笑)
そこ年のハロウィンは、まさにこの写真の格好でした😅
左側の子にぞっこんLOVE😍でしたね😅
そっからDr . DreやSnoop Doggとか入ってギャングスタラップ系にハマり、少ないおこずかいでCDを買っては没収されてました。
(あれは言葉や内容があかんので、学校で見つかると没収、停学処分になります)
得意だった絵も、アニメから グラフィティーに変わり、メキシカンや黒人のギャング達からスゲー!って言われてました(笑)
あ、でもアメリカンキッズに 悟空の絵とか大人気で $5とかで売れたんやでー!笑
まぁそんなこんなでウェッサーーーイなギャング世界にハマり 散々トラブル巻き起こして高2の時に日本に強制送還。。。😅
この頃の写真が無いのが非常に残念😂
1996年に高校無事卒業し、松本市の中華料理屋で働く。
ここで教わったご飯の盛り方は今でも覚えている(笑) ふわっとさせるのじゃ!🍚
18歳、松本でもHipHop仲間に出会い、ダンスしたりDJしたり 夜遊びクラブ三昧な日々を過ごす。
それから20歳くらいにアパレル業界に転職しました。
アルバローザとか扱ってるお店だったので、ギャルに転身…。
日サロ、金髪、ミニスカ…
そんなこんなで、23歳の時に今度は家族でカリフォルニアに移住することに。
父、母、高1の弟と中1の弟で移住です。
しかし 移住して1年後に、父が倒れ末期ガン宣告…
わずか1か月でお葬式を迎えることに…。
つづく。