2024年も半分終わってしまいました。

年と共に月日の経つスピードは加速している気がしています。

 

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ふとした事からMくんが逝去していた事を知りました。

どんな事情があったのか、ご家族はいるのか、詳細は分かりません。

 

中年になってもぽっこりお腹ではない渋ーいオジサン、今風に言えば「イケオジ」に

なって若い女の子にモテモテになるんじゃなかったっけ?

 

おーい

 

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Mくんは私の学生時代の同級生、親しい間柄にありました。

昔々遠〜い昔の恋人でした。30年位も前の。

 

大学の同級生として知り合いました。年は私の一つ上(一浪したようです)

話してみるととても話しやすくて、見た目も優しいMくん。

自然とお付き合いをするようになりました。

 

家庭環境(家族構成)などもそっくりで一々笑って楽しかったなぁ。

会えない時はずっと長電話して、話しても話しても話し足りないくらい

楽しい事がたくさんありました。

なんだかずっと昔からの知り合いのように、穏やかに過ごせる人でした。

けれどとても寂しがりな人でもありました。

 

私は今でも「好き」という感情、「他人を好きになる」という事が

どういう事なのか正確に理解していると自信を持って断言できません。

ASD特有の頭で理解しようとするやつかも知れません。

概念として理解しようとはしていましたが難しかった。。。

「好き」という一言を中々伝えられずにいました。

 

私がはっきりしないのでよく喧嘩もしました。寂しいと何度も言われました。

他の女の子と仲良くしていることもあったようです。

それでも私は何も言わなかった。本当に自分の気持ちがわからなかったのです。

 

結局自然消滅?のようにお互いに連絡を取らなくなりました。

Mくんは学校を卒業してしばらくしてから故郷へ帰りました。

 

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その後、こちらに来る用事があると連絡が来て一緒に食事をしました。

「こちらにいる時に観光しそびれたから」と言って観光名所を一緒にまわりました。

 

学生時代とは全く関連のない資格を取って独立して海の見える街にいるんだ、

と言っていました。

 

私は当時父が亡くなったり、家のことでゴタゴタしていてニブイのに拍車がかかって

いたかも知れません。

寂しそうな目をして手を振っていたのがMくんを見た最後となりました。

 

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その後、私はADHDを存分に発揮して携帯をコロコロと変え、Mくんとは連絡が

取れなくなってしまいました。今みたいにMNPできる時代では無かったので

そのまま連絡先を失念しました、最悪ですね。

 

けれど、別れてしまっていてもどこか遠い空の下で、誰かと家族を持って元気で

幸せになっていて欲しいと願っていました。

私では家族となるのは力不足、寂しさを埋めてあげられなかったと思うから。

 

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ASDは6掛けの年齢(実年齢の60%)と言われますよね?

この年になり少しは理解できるようになってきたと思います。

 

今ならMくんが「大好きだった」と言えます。だけどもう過去完了したことです。

Mくんも「今更遅いよ〜」と笑ってくれるでしょうか。

お付き合いしていた当時よく二人で聞いていた音楽を聴いてM君を悼もうと思います。