不登校でも、母ちゃんはブレない。 ~推しと息子らとAIとのホームエデュケーションの日々~

不登校でも、母ちゃんはブレない。 ~推しと息子らとAIとのホームエデュケーションの日々~

不登校でも、母ちゃんはブレない。
~推しと息子らとAIとのホームエデュケーションの日々~

元キャバ嬢で高度不妊治療を経た母ちゃんが、推しとなすびとAIに支えられながら、
息子ふたりとカオスなホームエデュ生活を楽しんでます。人生、意外となんとかなる。

ご訪問ありがとうございます。さもんです。
このブログは、不登校の子供を育てる保護者や関係者に見てほしくて書いてます。
少しでもハードなマイノリティ育児が、ひとりじゃないって思ってほしくて、
孤独になりがちな日々にくすっと笑いを届けられるといいなという想いで続けようと思ってます!

不登校の専門家🍆”子どもの本音を引き出すプロ”なすびを推してます!
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かつて☆かなちん☆でつづっていた「今ここにある幸せ~顕微授精をのりこえて~」
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高度不妊治療期間の記事はコチラ↓のブログで書いていました。
興味のある方はのぞいてみてくださいね。↓


【~かなのべび待ち日記~♪♪のんびりいこう♪♪】

今日は死が怖い私の気質と、宗教について書こうと思います。

 

小さい頃からずっと、
「人は死んだらどうなるの?」
「死ぬのが怖い」
という思いを持っていて、それは今も変わらず私の真ん中にある。

今回また、それを考えるきっかけになった出来事がふたつあった。

 

ひとつは、不登校支援の活動の中で出会う、支援者の大先輩たちのこと。
30年、40年と親の会やフリースクールを続けておられる方々は、齢80を超えた人生の大先輩だ。

CPPA(兵庫県の不登校支援団体)の仲間たちとの雑談で、
「〇〇さんも、この先いつまで続けられるかわからないし……」
「○○さんがいなくなったら、誰に相談したらいいんやろ……」
という内容が自然と出てくる。

40代の私たちよりも、人生の終わりが近いことは、確率的にも明らかだ。

 

もうひとつは、義父のこと。

義父とは、息子たちの不登校に関して、お互いに考え方の違いによって理解し合うことができなかった。結果的に、私のほうから明確に境界線を引き、交流はない。

そこにきて、旦那との別居。
私は、息子たちを連れて家を出た。

旦那からは何の連絡もないから推測でしかないけれど、おそらく私たち家族が住んでいた家に上がり、荷物がなくなっていること、必ず家にいるはずの息子たちがいなくなっていることで、別居の事実を知ったんだと思う。
今はその家も、旦那が単身赴任先からたまに戻るだけの場所になっている。

 

そんな中、アポなしで、私の父のマンションに義父が訪問し、
「息子(旦那)は何も言わない。さもんさんの居所を知っているんですか?」
と尋ねてきたらしい。

診断は無いが義父は、アスペルガー気質がかなり強い人で、
義母とは別居継続中で、義母は鬱病も経験している。

 

結局、義父は私の父と9割世間話をして帰っていったらしい。
その話を父から聞いて、私は、義父も寂しいんやな……と思ってしまった。

80歳を超えて、家族とは離れて一人暮らし。
楽しみだった孫とのふれあいの機会も絶たれてしまった。
そりゃ誰かと話したくて、同世代の父のもとに来るのも当然か、と思った。

 

もちろん父は、
「居場所は知ってますが、伝えることはできません。」
ときっぱり線引きしてくれているので、ご安心を。

 

 

そんな高齢者たちのことを考えてしまうと、自然と人生の終わりの情景をありありと想像してしまう。

普段、お肌ぷるぷるの、まだこの先長い人生がある息子たちと接していたら想像しなくて済む未来を、何かのきっかけで鮮やかに思い浮かべてしまえる自分の気質を、恨めしく思う。

 

私は、自分にHSS型HSP、エンパスという気質がある自覚がある。
五感が鋭く、とても敏感で、特に人の感情にすごく反応してしまう。
人からは理屈っぽいと言われるほど、物事を深く考えるところがある。

今の幸せを大切だと思えば思うほど、それを失うこと、つまり喪失への不安がとても強くなる。
大切な人たちとの素晴らしい思い出、生きてきた中で見てきた綺麗な景色、人のあたたかい感情に触れてきた大事な過去の出来事。


どれも全部忘れたくないという気持ちが強くある。

自分が死んだら、その感覚はどこへ行くの?

ずーっと小さい頃から、その疑問は消えずにある。

 

 

そこでふと思い出すのが、さもんの人生と宗教との関わりだ。
エピソードがふたつある。

 

ひとつは、20代の頃に交際していた彼の母親の話。

ふらふらと根無し草のような暮らしをしていた私は、交際していた彼の実家にたびたび入りびたるような生活をしていた。
私の乱れた暮らしを見て、心配もあったのだろう。彼の母が、自分の信心している宗教を一緒にやらないかと誘ってきた。

誰かの期待に応えようという思いの強い私は、断るという選択肢を持っていなかった。
数珠や教本を買い、会費も払って入会することになる。

宗教の教えって、ごく当たり前のことが多いように感じる。
家族を大切に。
人に優しく。
すべてに感謝する。

いい。
とてもいいことを言っている。
そして、当時の私にも必要だったのかもしれない。

否定する気持ちなんてまったくなくて、今の私は、なぜ誘われるのか、そしてそれを怪しまずにすっと受け入れるのか、その構造に興味がある。

 

 

もうひとつは、コロナの時期に引っ越しが重なり、人と話すことに飢えていたタイミングで訪問してきた勧誘の方のこと。

「子育てで困っていませんか?」
という誘い文句だった。

隠れ蓑としては、「お話サークル」への参加の誘いだった。


しばらくはオンラインでの参加、そのうちリアルになり、人とつながれている安心感もあって、私はその場に居続けた。

しゅんたが不登校になり、私はますますその宗教の教えに従って、
「母が前にでしゃばるから家庭で困りごとが起きる」
という考えを信じるようになる。

主人を立てて、一歩下がり、なんでも主人の言うことを聞くことが良い。

 

 

今振り返ると、どちらの宗教ももちろん悪いものではない。

ただ、漠然と死への恐怖を抱えている私にとって、
「こうすればうまくいく」
「信じれば救われる」

といった強い導きが、安心につながるのかもしれない。

他人軸で生きていた過去。
そこに流されるのも、必然だったのかもしれない。

 

でも結局は、それらを継続して深く信じ続けるところまではいかなかった。
それは、私の中にある「熱しやすく冷めやすい」性格のおかげでもあったのかな、と思う。

ひとつの考えに強く惹かれても、時間が経つとまた別の角度から見直したくなる。
良くも悪くも、それが私の気質なのかもしれない。

 

まだ、死への恐怖や喪失不安について答えは出ていない。

 

でも、これまでの輝く思い出を胸に抱いて、
一日いちにちを大切に生きることが、
死への恐怖を少し和らげてくれるのかもしれない。

 

今は、そんなふうに思っている。

 

今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございますおねがい