それは私にとって夏そのものだった

先日、おじいちゃんが亡くなり葬儀が今日あったと
連絡があった。
全然知らなかったし、何で早く教えてくれなかったんだ!
とも思ったけれど、どのみち参列は出来ない日程だったから
心の中で祈っていた。

その連絡があったのがお昼頃。
その日の夕方過ぎ、おばあちゃんも息を引き取ったと連絡があった。

一瞬思考が完全に止まった。

寂しさと悲しさが押し寄せるけれど、
二人揃ってなら寂しくないねとも思った。
正直、実感が無かった。


そもそも、このおじいちゃんとおばあちゃんは
私にとっては血縁ではなく、親族にもあたらない。

父の姉、つまり伯母の旦那さんの両親なのだ。
伯父といとこは親族に当てはまるけど、伯父の両親は
何にも当てはまらないのだ。

それでも家が同じ岡山県内で近い方だったのと、
いとこ一家は県外にいた事。
またいとこ一家と私の家は非常に仲が良く、
いとこの帰省に併せ、私もよくお家にお邪魔していた。
いとこ一家がいなくても遊びに行く事もあった。


だから、私はかなり大きくなるまで(小学校高学年くらい)
父母の両親ではないけど血縁の、本当の祖父母だと思っていた。



夏休み、その祖父母の家の裏にある小学校で夏祭りがあるからと
浴衣を来て毎年遊びに行った。

私の人生で夏祭りといったらここのお祭りが出てくる。

家の中のひんやりとした空気、畳の匂い
一面に広がる田んぼ、蛙の声
家の奧に昔商店だったスペースがあって。
そこがとっても暗くて、廊下から見えるその暗闇がとてつもなく怖かった。
お祭りから帰って下駄を脱いで踏む畳の感触


この夏祭りが本当に本当に好きだった。
今思うと理想の「田舎の夏」って感じだ。

納屋と庭を使ってBBQもした。
納屋にはツバメの巣があった。


夏だけじゃない。
冬には餅つきもあった。
餅つきに行ってない年も、お正月には我が家にお餅を届けてくれた。
白いお餅と豆餅。
私はこの豆餅が大好きだった。

お正月の朝、車が見えるのを心待ちにしていた。



ここ数年は2人とも入院したりと会っていなかった。


近いけど遠かったから、喧嘩や険悪になる事もなく
(これは私が気付いてないだけの可能性もあるが…)
いつも玄関を開けるといらっしゃいと大きくなったねと
笑顔で迎え入れてくれた。


血の繋がりなんかなくても
私にとっては本当のおじいちゃんとおばあちゃんなんだ


そんな二人が揃っていなくなってしまった。
昨日まで実感はわかなかったけど、今日最期に顔を見て
骨を見て「あぁ、もういないんだな」と漸く実感した。


本当に本当に大好きだった。

どうか、向こうでも揃ってでもそれぞれでも、
楽しく過ごして欲しい。


今までありがとう。


お祭りにて。
いとこ達と弟と。