「全ての可能性が、今同時に存在する」

というパラレルワールドの話を

よく見聞きする。

 

新しいチャレンジが怖くて

挑戦できない私がここにいたらセキセイインコ青

同時に別のパラレルワールドでは

そのチャレンジを余裕でこなして

成功した私がいるセキセイインコ黄

 

みたいな話。

 

 

知識としては

「ふ~ん、なるほど。そういうものなの?」と、

否定するわけでもないけど

実感もないし、

事実だと確信はできてなかったのだけど、

 

 

 

話は変わりますが、

急に寒くなりましたね。

 

私は寒いのが嫌なので冬が苦手雪だるま

 

「寒いのは嫌だぁ。早くあったかい季節になって欲しい~。

でも12月になったばっかりだし、

これからが寒さの本番だよなぁ。

あと3か月は寒い時期かぁ、嫌だなぁ」

 

私の目の前の現実は冬雪だるま

寒い雪だるま

苦手な季節雪だるま晴れ

 

 

だけど、

 

 

 

「今、南半球は夏なんだよなぁ晴れ

いいなぁ、オーストラリア~やしの木イルカ波

 

 

ん? 目!!

あ~!!! びっくり!?

 

 

私が身を置き、現実を体験している北半球が真冬である

今同時に

南半球では半袖、短パンでOKな真夏の現実が

ある!!!

 

当たり前?

うん、そうよね。

社会科の授業で習ったよね。

 

でもさ、今もしSNSもインターネットもテレビ中継もなくて

自分はこの寒い日本の冬を「私の現実」として体験していたとしたら、

どうやって、今同時に夏の世界が「ある」って確信をもてるだろう?

 

 

だけど、確かにあるんだ!

私が今ここで体験している「私の現実」とは「違う背景の現実」が!

 

 

そう思うと、、、、

パラレルワールドって本当に存在するのかもしれないって、

少し、いや感覚的にはかなり、ぱっかーんと枠が外れた気がした。

 

 

私が今目の前で体験している現実だけが、唯一の現実ではない!

 

 

今、目の前の現実として体験していないような気がしていても

(=「ない」を信じていても)

パラレルワールドではそれを体験している私が居るのかもしれない。

(=「ある」のかも知れない)

 

 

だから、

 

もし今、私がイヤだと思う現実を体験しているとしたら

そんな時こそ

「本当は、どうだったらいいのか?」を自分に問い

 

 

望む現実(パラレルールド)に自分の意識を合わせよう。