今日も特になにもなかった。いつものように寝坊し、いつものように学校へ行き、いつものように単位の心配をする。

 受験勉強というのは、そんなに悪いものではない。

 これが11月まで受験勉強をしてきてようやく気づけたハッピーだ。今日まで何度も怠け、悩み、投げだし、その度に向き合ってきた結果だ。
 そもそも受験勉強がなければ、私はこんな風に自分の愚かさに嘆くこともなければ、「わたし」という人間について真剣に考えることもなかったかのように思う。
 勉強は嫌いじゃなかった。好きでもなかった。ただ平均的な人よりちょっとばかし知識があった。だから授業で褒められることも多かったし、テストで点数を取ることも苦手じゃなかった。それは中学校までの話だ。
 大抵の人間というのは、中学校か高校で挫折を経験するのだと思う。喜ばしくもありとても残念でもあることに、私は挫折を経験したことがない。一生懸命になったことがないから。保険をかけるのとも違う、妥協点が私の中にはたくさんある。「このへんでいいや」ですべてを済まし、めんどくさいことを避けてきた。私の高校受験体験もまさにその筆頭で、バカだと思われなければどこでもいいと思って今の学校に入学した。その考え自体がバカだ。
 こんな風に生きてきたので、大学も自分のちんけなプライドが許すところであればどこでもいい。今の本音はここだ。
 大学にこだわりはないのになぜ受験勉強が悪くないと思えるのか、これはまさに手段の目的化だ。「大学に入るための手段」である受験勉強が、今の私にとって「自分の人生に充足感を与えてくれるもの」になっている。要するに、今私は人生で初めて、「自分は望んでいない」勉強が楽しいんだ。
 今の私の生活と言えば、寝坊して学校へ行き塾へ行き自習室が閉まるまでは基本勉強。平日の勉強時間だけで7時間を超える日もある。今までの怠け具合がひどいものだったから、受かるかどうかは厳しいと自分でもわかっている。当たり前に落ちたくないし受かりたいし2月が不安だ。でも悪くない、楽しい。
 受験期に一番つらいのは長時間の勉強なんかじゃなくて、勉強していない間の不安なんだと思う。この不安をどうすればいいか、私にはわからない。ただこの不安を抱えながら受験期を過ごしたことも、いつか笑い話になるんだろう。そんな日はまだ遠くてまぶしくて手が届かないけど、その日まで生きてみるのもきっと悪くないはずだ。