こんにちは!
『宇宙犬マチ』第6回をアップします。
今回も、どうぞよろしくお願いします!
カッピー
『宇宙犬マチ』 第6回
九 希望 マチ
一日が始まる。最終日に迫る一日が。
夜を徹しての分析が終わり、過去の事例のリサーチも終えようとしたその瞬間、過去に修正を試みた事例がいきなり頭の中に飛び込んできた。
たった一件だけ。修正が成功し、その星は宇宙にとって悪い存在ではなくなり、消去されることはなかった、というものだった。
しかし、朝が来てしまった。おとうさんにバレる危険があるので、今夜それを再度探ることにした。
僕はゆっくり触手を額に引っ込めて、寝室に行き僕専用のベッドに入り、ひと眠りすることにした。時間は五時を回っていた。
その日、おとうさんが先に起きて、僕はそのまま寝ていた。
おとうさんは朝のルーティンを終えて、着替えをして、僕を起こしてくれた。
眼の前に笑顔があった。
いつものように一日が始まった。
でもこれもあと二回だけになるかもしれない。そう思うと切ない。
さっそく日課の散歩に行く。すでに太陽の光が強くなっていて、青空が広がっている。
なんて清々しい一日のスタートなんだろう。
しかし、今後のことを考えると気が重い。
一歩一歩かみしめながら、いつもの散歩コースを歩く。
すでに地球に来て八年の月日が経っていた。
ほぼ毎日このコースをおとうさんと歩いてきた。
「マチ、今日は歩みが遅いんじゃない?」と、おとうさんが不思議そうに言う。
僕はおとうさんの顔を見て、声を出し、そんなことないよ、と伝えた。
ちょうど初夏に向かう季節で、紫陽花の花が所々にキレイに咲いている。
白やブルー、紫、ピンク……この花だけで、これだけの色があるなんて信じられない。
この大柄の花は小さな花弁が集まってできている。特に雨の日は美しい。
雨粒が付いて、より輝き出す。雨上がりの日にそれを発見した時の驚きと言ったら……
僕が実際見ることができる範囲だけでも、無数の驚きがあるんだ。
それが地球上のさまざまな所には、全く別の自然と風景があるのだから……。
いつも思うのは、研究対象としてはかなり貴重な星。
そうだ“研究対象惑星”としてしまえば、いいのではないか!
そう思いついたら、急に気分が晴れやかになって、つい空に向けて“ワン! ワン!”と吠えてしまった。
「マチ! マチ! だめだよ」とおとうさんがリードを引っ張って注意する。
僕はおとうさんの顔を再び見つめて、笑みを浮かべた。
「何か楽しいものが見えるの? それとも聞こえるの? 嬉しそうだね」
と、おとうさんは僕に話しかけた。
きっと希望はあるはずだ……と僕は思い、今度は足早に歩き出した。
「今日のマチは、なんだか変だなぁ」とおとうさんは呟く。
その後、家に帰って出された朝ごはんを完食した。ここのところ朝の食欲はあまりなかったけど、今日はあっという間に食べてしまっていた。
その後は新聞を読むおとうさんにちょっかいを出したり、おもちゃ投げをおねだりしたり、いつもの時間が過ぎる。
それが終わると大好きなお昼寝タイム。
毎日のように夜中にいろいろやっているので、とにかく眠い。
窓際の風の通り道にあるベッドに横になるとすぐに夢の中に入っていく。
カーテンがゆっくり揺れている。
なんて平和な時間なんだろう……と思いながら。
時々目を覚ますとおとうさんは、ペンで書き物をしたり、パソコンで検索をしたり。
うっすら目を開けると、僕を見て微笑んでいる時もある。
そして「マチ」と小さな声をかけてくれる。このまま時が止まってくれればいいのに、と本気で思いながら、今度は深い眠りに突入した。
僕が夢の世界に入り、どれだけの時間が経ったのだろう。
伸びをして意識が戻って見渡すとおとうさんはキッチンに立っていた。
ランチの準備をしているみたいだ。僕はすぐに立ち上がって、様子を見に行く。
ランチは何? 僕にも何かちょうだい! これがお昼の楽しみだ。
おとうさんの今日のランチはカレーだった。とっても香ばしいいい匂いがする。
でも僕は食べられない。一度だけ隙をみて、ペロッと舐めてみたんだけど、舌がピリピリして、口の中がひどいことになったから、ちょっとしたトラウマになっちゃった。
でも香りはすごくいい! 食欲がそそられるのが不思議だ。
なんとかおねだりをして、ササミが巻かれた棒のおやつをもらって、ガシガシ食べる。
人間は本当になんでも食べる。様々な肉、野菜、フルーツ、魚、穀物……。
それらをあらゆる手法で加工し、いろんな味を付けて食べるんだ。
とにかくすごく珍しい種族だ。
僕たちの食事は栄養と健康が重視されていて、味なんか気にしない。
犬になった僕も、いろんなものを食べた気がする。どうも犬用のフードは味が薄いものらしいんだけど、おとうさんから、時々果物やパンを少しだけもらうと、それがとっても美味しいんだよ!
僕のお気に入りは、ヨーグルトとバターの入ったパンとみかん。
おとうさんが食べていると、猛烈におねだりしてしまって、つい呆れられることもしばしばかぁぁ。
こんなに食べ物に執着する準高等生物は見たこともない。
とにかく、人間はとにかく希少で稀な存在といえる。だから、人も研究対象に……。
そのためにはどう理由を付けて結論を導き出せばいいんだろう?
おやつを食べた僕は外から入ってくる瑞々しい空気を鼻にいっぱい入れながら、また考えにふけってしまった。
「マチ、どうした? 動きがフリーズしているみたいだけど」とおとうさんが口をモグモグさせながら話しかけてきた。
僕は急に犬に戻り、またおねだりをすることにした。
でも、いつものカリカリフードが少し出されただけだった。残念!
僕はそれを食べ終えて、寝室のベッドに向かった。
今夜の重大な決断のために、心と身体を休めるように目をつぶった。
しばらく時間が経ったのだろう。夢を観ることもなく、ぐっすりと眠ってしまった。
目を開けて、リビングの方を見ると、またカーテンが風で揺れていて、清らかな風が入ってくる。
おとうさんは少し険しい表情をして、パソコンに向かっていた。
知らぬ間に、ビアノによる音楽が静かに流れていた。
この地球では、音楽=ミュージックというものも多彩だ。ほとんどの宇宙の種族には<ムジク(音楽)>が存在する。しかしそれは異性の気を惹くためのものか、宗教的な祭りのためのもので、明らか単純で原始的なものである。
しかし、地球は違う。クラシック、ジャズ、ロック、ポップス、フォーク、レゲエ、ヒップホップ、民族歌、演歌などなど、多くのジャンルが存在し、それを奏でるための楽器も数限りなくある。
静かに聴く曲、一緒に歌う曲、身体を動かして熱狂する曲……たかが数百年の歴史にも関わらず、膨大な作曲家、アーティスト、歌い手が登場し、すでに記憶から消えていった人もいる。
この点でも、いままで体験したことのない高度な音楽を生み出してきていて、個々の嗜好やシーンに合った曲を聴くことにより、楽しんだり、喜んだり、悲しんだり、元気を出したり、意識を高めたり、希望を持ったり、夢見たり――音楽は本当にたくさんの役割を果たしてきているらしい。
さすがに、僕はその全てを理解することはできない。分析や分類はできたとしても……
人類の感情、感覚というのは、もろく遷ろうもの。やはり宇宙の多くの場所で失われたものであり、それがいまなお残っていると断言できる。
これらを取り戻せば、宇宙全体の利益になるかもしれない、僕たちもより豊かに生きられるのかもしれない。
ミュージック、僕はピアノソナタと呼ばれるものと、おとうさんも大好きなトリオのジャズと女性ヴォーカルが気に入っている。
心に何かの感情がしみ込んできて、なんともいえない気持ちが沸き上がり消えていく。
こんな気持ちが僕に残されているなんて……
心地よい音に身をゆだねながら、しばらく横になり、耳をそばだてていた。
こう考えると地球と人類は、貴重な研究対象として、今後の宇宙全体への貢献も可能な気がしてくる。
しかし、まずは予想される宇宙への悪い影響をどう取り除くか? それが大きな問題だ。早急に悪影響への対策を練らなければならない。
いきなり頭の中が動き出した。
十 問題 マチ
地球の問題。
それは間違いなく人間。その根幹にあるのは“欲望”であることはわかった。しかも一部の人による、利己主義的な欲望。それにより引き起こされた憎悪が原因で、小さな諍いから、戦争までが起きてしまい、人と人が殺し合うことになる。
あくまで己の利益を追求するために、環境はお構いなしに、モノを製造し、使い捨てにしていく。これらは、気候に大きな影響を与え、美しい地球も破壊されていく。
自然も、木々も、植物も、動物たちも、多くの清らかな生き物たちも……。
こう考えると、人間から“欲望”を取り除いてしまえば、いいのではないか? という結論に達した。
それなら意外と簡単かもしれない。
しかし、シミュレーションしてみると、欲望を消すことによって、やはりしばらくすると人間が消え去ってしまうことになりそうだ。大好きなおとうさんとおかあさん、良心的な人々も……
これでは意味がない。いま、人間と一緒にいる、犬や猫たちも消えることになる。
いずれにしてもそれが運命だとしたら、どうだろう?
高等生物が消えるということは、リセットされるということ。研究対象の自然の大部分は残ることになるのではないか? まあ、予想でしかない。
もっといい手法はないのか? 夜までは時間がある。もう少しじっくりと考えてみよう。
僕は寝ているふりをしながら、頭の中をフル回転させていた。
人間の思考をコントロールすることはできるだろう。だが、シミュレートしたように、欲望を消してしまったら、どんな影響が出るかわからない。それを監視し、逐一修正をかけていく必要がある。
それを、どうやって、こなしていくか?
考えるほど、頭の中が混乱してきて、まとまらない。でも方向性だけは出しておきたい。
ひとまず、世界中の仲間から来た報告はレポートにまとめておく。それはもちろん地球を消すべきだ、という結論。
それと別に、研究対象として重要な存在だという、別だてのレポートも用意しよう。
頭の中のメモリに整理された綿密なデータと結論だけで、各地の仲間に確認してもらう。
その前に、さっき考えた別の結論を提案として、皆に考えてもらうことにした。
世界中の仲間たちもたぶん同じ思いに違いないという確信はあった。あとは実質的な行動ができる夜を待つだけになった。
のんびりとした午後を過ごし、書き物をしていたおとうさんをせっついて早めの散歩に出る。夕方の散歩は、今日が最後になるかもしれない。そう思うと少しだけ複雑な気分になってしまう。
その日の夕ご飯は、おとうさんと同じ時間に一緒に取った。僕にとって最も楽しく大切な時間。僕は金属製のトレイに入れられた、カリカリフードを一気に食べ、ゆっくりお酒を飲みながら肴をつまんでいるおとうさんに別なものをおねだりに行く。テーブルにはすでに次のフードが用意されていた。アキレスという硬い筋状のものだけど、凄く噛み応えがあって僕は好きなんだ。
グルメではないけれど、いろいろ食べられるのは嬉しい。でも問題は、悠長にこんなことをしている場合ではないということだ……。とか思いつつも、アキレスもすっかり食べ終えて、さらにおとうさんの夕ご飯を狙っていく。さすがに人間の食べ物はあまりもらえないけど、こんなに色んなものを食べられる時間は何て幸せなんだろう。
そして、外は暗闇になってきて、決断の時が近づいてきた。おとうさんはウイスキーを飲み出してさらにいい気分になっている。今夜は早く寝そうだ。
おとうさんを観察しながら、時々へそ天になり、甘えてしまう。犬の習性。撫でてもらうと、なんとも言えない喜びがやってくる。
この感情が消えてしまうなら、このまま地球で犬のままでもいいかもしれないと思ってしまうほど。快楽の時、そんな言葉がピッタリ。いけない、いけない、こんなことをしている場合じゃない、と思いつつ、頭の中では、ある決心はついていたーー。
(以降、30日掲載予定の第7回に続く)