[タイトル募集中]OSCAR by 橘 白桜
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Tachibana Hao History Episode 3

事情というのは

悪友とばかり付き合ってた兄貴がついに警察の世話になり

鑑別から出てきて真面目になったのか

親戚の元で仕事をするためだ

その頃から俺と母親の

2人の生活が始まった、、、
さっきも述べたように、母親は元々だらしなくて

兄貴が出て行ってからはよけいにだらしなくなった。
俺が学校行くときは、寝てるか、家にいないか、、、

だから当然、気持ちの良い朝など迎えたこともなく

美味しい朝ごはんなども食べた記憶はあまりない

学校行くときに
「行ってらっしゃい」

学校から帰って来たときには
「お帰り」

そんな言葉を言われたこと、たった一度もなかった。

母子家庭で、母親は仕事もあるから仕方がないんだけどね、、、

ただ1番最悪だったのは、母親が夜遊びに行くだけでなく

ついには家に男をつれてくるようになったことだ

「なんなんだこいつは」ってずっと思ってたな

ただ、兄貴もいなくなり、家に楽に居れることも増えて、この生活にもなれていった。

しかし、なれたはなれたでいいが

俺は俺で、また兄貴のように

グレていった。

当時の兄貴の頃より悪かったんぢゃないかな。。。

そしてグレていくと同時に、今まで無意識だったが、母親に異様な恨みを持つようになっていった。

俺は16で、中学も卒業して、高校は行かず、悪さばかりしてる毎日だった、、、

仕事なんて全くせず

物がほしけれゃ、恐喝したり、窃盗したり、それの繰り返しだった。

他にも、暴走行為、傷害、器物破損、とにかく悪さばかりのクソガキになっていった。
俺がそんな感じになっていったから、母親とも仲悪くなっていって、、、

お互いあまり口もきかない感じになっていった。


それである日、何がきっかけかは忘れたが軽く言い合いになったことがあって

「お前はもう16なんだし仕事も出来る歳なんだからどっか寮に住み込みでもして働け」

と、強い口調で言われた。

そしてその言葉で、母親に対しての恨みの気持ちが爆発した、、、


「は?殺すぞ?16なんだから?てめぇは俺に何をしてくれた?都合いいときだけ16なんだからとか言いやがって、てめぇがしてきたことは教育なんかじゃねぇ、ただの飼育だ、植物に水あげてるだけと同じだ、でも俺は人間だ、てめぇが俺に何をした?16年間金と食い物だけ与えただけだろ?都合いいときだけまともな親ぶるな、都合いいときだけ教育したみたいなこと言うな」

確か、こんな感じの言葉を吐き捨てて、ドアを打ち壊して家を出ていったな、、、

初めて母親に「殺す」って言葉を吐いた、、、

その日以来、家には一切帰らず、俺の悪事もエスカレートしていき、当時付き合っていた女と友達の家をあちこちと泊まり歩き

悪さが尽き、ついに俺は警察に逮捕された。

鑑別くらいだろうと、ある程度の覚悟はしていたが、結果は、少年院送致だった。
俺は、留置場、鑑別所に居る時点で、拘束されて自由のない生活が嫌で嫌で仕方なかった。。。

今までの人生、大半が放置されていたから、逆に、拘束されている生活が苦しくてどうしようもなく感じたんだよね。

放置も、寂しいけどね・・・

少年院送致と決まったときは、本当に頭が真っ白になった。

留置場、鑑別所での2ヶ月でさえ、とても長く感じていたので、この先更に何年も拘束されるなんて、、、本当に考えられなかった。

こうして、社会での悪さばかりの自由な生活が、少年院生活に変わった。

tachibana hao History Episode 2

俺の家族は、父親がいなくてね

母子家庭で

母親も働いてた。

でも母親は、仕事が終わって帰って来ても

すぐ準備してどこかへ遊びに行ってしまって・・・

だから、母親も母親だし、兄貴も兄貴なものだから

家族でご飯を食べたことなんて記憶の限りで2回。

昔の記憶に関してはものすごく覚えてるから、、、

母親にご飯を作ってもらったこととかも

ほとんどないにひとしい。
母親はいつも買い物をして帰って来るんだけど

レンジで温めて食べれるようなものばかり

買い物袋を置いて、準備して、それですぐ出掛けちゃって、、、

そんな感じの毎日

兄貴は俺が小学校4年生のときに家を出て行って

それからも母親はあまり変わらずで

仕事行ってそのまま帰ってこない日もしょっちゅうだった。

学校が終わって家に帰ると、居間のテーブルに毎日お金が置いてあった。

そのお金でご飯を買って食べなさいって

兄貴が出て行ってから、母親はよけいにだらしなくなっていった。

でも、兄貴が家にいた頃は、とにかく毎日が嫌だった。
母親はまるで俺や兄貴には無関心みたいな感じだったし

兄貴から暴力を受けてることを母親に話したこともあるけど

深刻には受け取ってくれなかった

よくある兄弟喧嘩程度にしか感じなかったのかな、、、
ついには兄貴から

「母さんに言うなよ」

「言ったらもっとやるからな」

って、そんなことまで言われた。

だから俺は、ついに母親にも話さなくなった。

それに、母親と一緒に過ごす時間なんて

母親が帰って来て、母親が出掛けるまでの

ほんの10分程度。

兄貴が恐かったし

母親が帰ってくるまで家帰らないで家の前で母親を待ってたこともあった

心の中で

「早く帰って来て」

「お願いだから今日はどこにも出かけないで」

ずっとそう思いながら母親の帰りを待ってたときもあった。

でも結局、母親はすぐ出掛けてしまって、、、

兄貴と一緒にゲームをやったり

一緒にテレビを見たり

途中まで一緒に学校行ったり

本当たまに、そういう日もあったけど、

ほとんどは目の敵のようなものだった。

そんな日々が4年間

小学校1年生から

小学校4年生まで続いた

そして兄貴は、色々と事情があり

俺が小学校4年生のときに、家を出て行った。。。

Tachibana Hao History Episode 1

俺は東京に来てまだ1年7ヶ月

生まれは北海道札幌市で

育ちもずっと札幌

家族や身内とはもう

ちょうど2年くらい連絡とってない

家族って言っても

母親と兄貴だけだけど

兄貴はね、俺より7つも歳上で

今はどこで何してるか全くわからない

連絡もとってないし

取れない訳ではないけど

向こうは俺の番号とか知らないから

俺が歌舞伎町でホストやってることは知ってるけどね

それは母親も知ってる

でも店とかは知らない

もちろん俺への連絡先も家族、身内は誰も知らない

教えてないから。。。

お母さん元気かなぁとか

ばぁちゃん達は元気かなぁとか

たまに色々考えるけど

かれこれ2年

声も聞いてない。

俺ね、人生すごい波乱万丈なんだ。

多分、今の時代、俺の世代でもあまりないくらい。

俺は小さな頃から、母親と兄貴と3人暮らしでね

兄貴は、7つも歳上ってのもあって

あとは兄貴の性格上だったり

兄貴のその頃の環境とかもあったりで

あまり兄弟らしくはない兄弟だったんだ

まぁ簡単に言うと

兄貴は暴走族で、悪さばかりしてたから

面倒見てくれるどころか

俺はパシリみたいな感じだったんだ

親からのDVではないけど

兄貴からは正直

多大なDVを受けて育った

小学校1年生から

小学校4年生まで

ずっと兄貴のパシリみたいな感じ

理不尽な暴力もずっと受けてた

買い物も何回行かされたかわかんないし

当時は携帯電話なんかこの世に存在しなくて

兄貴が家の電話を使うときは必ず

会話を聞かれたくないのだろうか

家を追い出された

「夜中の12時まで帰って来るな」

とか、当たり前だったよ。

兄貴の友達が家に来るときも同じ

夜中まで帰らせてくれなかったんだ

部屋も、俺と兄貴は同じ部屋で

だいたい俺の方が学校終わるの早いんだけど

部屋にいただけで殴られて、蹴られて、、、

部屋から出て行かされたりとか

とにかく、ひどい兄貴だったんだ。

そんなことが

小学校4年生の頃まで続いた。
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