中学のときの同級生とプチ同窓会があった。


1,2次会飲み屋さん、3,4次会、小学校、中学校を

歩き、5次会バーミヤンでお開き。


 同じ学校だった、、、というくくりだったので、

共通の話題を何とか探そう、、みたいな感じでずっと

手探りだったけど、先生ネタとか、共通の友人とか

どこどこの店がどうなったとか、そんな他愛もないようなネタを

共有してお酒を飲めること自体財産だ。


 まったく利害関係のない人とつるむ機会、社会に出てからは

ほとんどなくなる。 小さいころのいろんなこと、よく覚えていて

夜の校舎とか校庭での昔話はすごく楽しかった。


 半年に一度ぐらいは、こういうのいいかもしれないな。




P.S. ○○○くんって、あまり話したことないけど、

あしたのジョーの力石徹みたいなイメージをずっと持ってたとか

およそ、僕の人生で一度も人から言われたこともないことを聞いた。。

わーい!! あんなん格好いいなぁ、そんなふうになりたいわ(笑)。




 みやぎ蔵王こけし館にきた。

大叔父の描いた絵や祖父の寄贈したこけしなどが

飾られていた。




これ、おじいちゃん自身が書いたのかな?

寄贈者の説明があった。いつ書いたのか記載されていない。

ハオロンのソースの旅日記-森亮介1
ハオロンのソースの旅日記-森亮介2

森亮介 79歳

森亮介 大正13年から昭和3年まで5年間渋谷で森兄弟写真館を経営
昭和3年渡米 主としてニューヨークのニコラスムレー氏のスタヂオに勤務 後 渡仏
昭和4年より昭和13年まで8年間写真の研究帰国
服飾界、美容界等フリーランサーでの仕事をす。写真歴25年
昭和16年 麻布霞町1番地で 第一次たつみ経営 5年間
戦争のため店焼失後また写真の仕事に戻ったが15年振りで第2次たつみを
仲宿にて約1年その後昭和36年から第3次たつみを中野にて経営13年。
昭和49年夏 井の頭へ移動。 第4次たつみは現在までで10年となる。
こけし歴は通算約30年位になる。


昭和3年にアメリカ留学、昭和4年から8年間フランス。

たつみ経営。 5年間。

って文法が日本語らしくなくて、
どうやら本当におじいちゃんが書いたっぽいぞ。

どうしていつも出前を頼むとおじいちゃんは出前持ちの人に
500円札あげていたのか、大人になってから分かった。


性格と顔が、その祖父に僕は似ているらしい。


ずっと海外にいて、日本古来のものに関心と情熱が向いた祖父のことが

いまだとなんとなく分かる。 僕も、日本のこと、もっと知りたい。



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