この文の編集をしたあと、
TV深夜再放送「プロフェッシャル」岡本隆史さんの映像を見て、
下記文中のチビッコ・ギャングを重ねました。
昨日、送信が上手くいかなかったため、
こういう形をとってみましたが、
少し、自分の中に新しい風が吹いています。
●営業は人を素敵にする
職場の売れっ子営業マンを見て思うこと。親しみやすい、笑顔があったかい、声をかけやすい、素朴、素直、愛情豊かな表情、義理と人情派、人気者、スター性がある。
その人は、背がとても小さい。上司にチビッコ・ギャングと呼ばれても、何処吹く風。それを逆手にとって、むしろお客様から可愛がられ、親しまれるキャラとしてコマワリを利かせているようにすら思える。
小粒なほどに、その人の潜在能力は旺盛な力を秘めているのではないか。そう感じさせてくれる。きっと、彼が結婚したい人のご両親に挨拶に行く時、好感度は高いだろうな。親心で見つめたりする。
営業とは日頃から人の心を掴む訓練そのもの。営業に強い人こそが経営者になっている。経営者の方々の呼吸は、せかせかしていない。どっしり、ゆったりしている。
そんな聞き上手、ナチュラルな笑顔、人の気持ちを汲み取る能力などを感じさせる彼をみて、娘さんのご両親は、気に入られるだろうなあと推測する。仕事は人を魅力的にするのに効く心身の運動でもある。特に営業は効き目がありそうだ。
心の運動量も激しい。昨日賞賛を浴びたかとおもえば今日は激詰め。お客様には否定され上司にはさらなる否定的ことばのパンチを受け、ボロボロの気持ちを味わうこともあるだろう。売る人ほど否定も多く体験する。彼らはエレベーター人生を甘受する求道者だ。
上司は何故、そこまで激詰めするのだろう。ある時それが愛に思えた。お客様に否定される方がもっと辛いに決まっているのだから、次は、否定に合わないように、先にもっと強い否定を授けているようにも思えた。愛のおまじないのようなもの、だから気にすまい。
韓国小説『愛の群像』シニョンの父は管理職だったのに、浄水器の営業で外勤をすることになる。せめて、一日一台でも売れてくれたら気持ちがラクなのに。売れない日が続くと気が重くなる。
「もう、仕事辞めるよ。食っていくぐらいの貯えはあるだろう」
「ないわよ」
「なに、ないだと、おまえ」
「そうじゃないのよ。あなたが仕事を辞めて、毎日この家にいてごらんなさい。すぐに老けこんでしまうわ。だから、外に出て働いていて欲しいのよ」
「うーむ」
それもそうだなと考え込む。
神渡良平氏の「下座に生きる」の講演テープを聴いて、あるところで立ち止まる。人は、色々な人のお世話になってきて、今を生きている。親からの受けた恩、多くの人たちの恩を受けて、これまで生きてこられた。それらを、どう恩返しするか。
仕事はなんでもいい。今、与えられた仕事を一生懸命にして、世の中のためにお役に立つ。そのようにして、これまで受けた恩を返していくができるのではないか。こころの中にさわやかな風が吹いた。それを実感できる、仕事の充実度をはかりたい。
できるはずだ。仕事という「職」を得て、労働して「食」を得る。食べて生きていけるようになったら、結婚して生殖の「殖」子供をもうけ、人の外的な営み、生活の基本。さて、サイクルは立ち、準備は整った。恩を返済しつつ、仕事をする。
そして本当に積み建てたいのは何だろうか。何を完熟させようとしているのだろうか。神様、エレベーターの修行はある期間だけにしてくださいね。収穫の安定期には一番、心が充足することを考えさせ、人の総仕上げにかからせて下さい。
(二〇〇五年五月二十七日)