この文の編集をしたあと、

TV深夜再放送「プロフェッシャル」岡本隆史さんの映像を見て、

下記文中のチビッコ・ギャングを重ねました。


昨日、送信が上手くいかなかったため、

こういう形をとってみましたが、

少し、自分の中に新しい風が吹いています。







営業は人を素敵にする

職場の売れっ子営業マンを見て思うこと。親しみやすい、笑顔があったかい、声をかけやすい、素朴、素直、愛情豊かな表情、義理と人情派、人気者、スター性がある。

 その人は、背がとても小さい。上司にチビッコ・ギャングと呼ばれても、何処吹く風。それを逆手にとって、むしろお客様から可愛がられ、親しまれるキャラとしてコマワリを利かせているようにすら思える。

 小粒なほどに、その人の潜在能力は旺盛な力を秘めているのではないか。そう感じさせてくれる。きっと、彼が結婚したい人のご両親に挨拶に行く時、好感度は高いだろうな。親心で見つめたりする。

 営業とは日頃から人の心を掴む訓練そのもの。営業に強い人こそが経営者になっている。経営者の方々の呼吸は、せかせかしていない。どっしり、ゆったりしている。

 そんな聞き上手、ナチュラルな笑顔、人の気持ちを汲み取る能力などを感じさせる彼をみて、娘さんのご両親は、気に入られるだろうなあと推測する。仕事は人を魅力的にするのに効く心身の運動でもある。特に営業は効き目がありそうだ。

 心の運動量も激しい。昨日賞賛を浴びたかとおもえば今日は激詰め。お客様には否定され上司にはさらなる否定的ことばのパンチを受け、ボロボロの気持ちを味わうこともあるだろう。売る人ほど否定も多く体験する。彼らはエレベーター人生を甘受する求道者だ。

 上司は何故、そこまで激詰めするのだろう。ある時それが愛に思えた。お客様に否定される方がもっと辛いに決まっているのだから、次は、否定に合わないように、先にもっと強い否定を授けているようにも思えた。愛のおまじないのようなもの、だから気にすまい。

 韓国小説『愛の群像』シニョンの父は管理職だったのに、浄水器の営業で外勤をすることになる。せめて、一日一台でも売れてくれたら気持ちがラクなのに。売れない日が続くと気が重くなる。

「もう、仕事辞めるよ。食っていくぐらいの貯えはあるだろう」
「ないわよ」

「なに、ないだと、おまえ」

「そうじゃないのよ。あなたが仕事を辞めて、毎日この家にいてごらんなさい。すぐに老けこんでしまうわ。だから、外に出て働いていて欲しいのよ」

「うーむ」

それもそうだなと考え込む。

 神渡良平氏の「下座に生きる」の講演テープを聴いて、あるところで立ち止まる。人は、色々な人のお世話になってきて、今を生きている。親からの受けた恩、多くの人たちの恩を受けて、これまで生きてこられた。それらを、どう恩返しするか。

 仕事はなんでもいい。今、与えられた仕事を一生懸命にして、世の中のためにお役に立つ。そのようにして、これまで受けた恩を返していくができるのではないか。こころの中にさわやかな風が吹いた。それを実感できる、仕事の充実度をはかりたい。

 できるはずだ。仕事という「職」を得て、労働して「食」を得る。食べて生きていけるようになったら、結婚して生殖の「殖」子供をもうけ、人の外的な営み、生活の基本。さて、サイクルは立ち、準備は整った。恩を返済しつつ、仕事をする。

そして本当に積み建てたいのは何だろうか。何を完熟させようとしているのだろうか。神様、エレベーターの修行はある期間だけにしてくださいね。収穫の安定期には一番、心が充足することを考えさせ、人の総仕上げにかからせて下さい。

(二〇〇五年五月二十七日)

今は安定した事務職ですが、

十年前は違っていました。


十年若い自分が、このような形で、

十年後の自分に語りかけている。


その時の自分が、このようにして再現され、

生きて言葉を発している。

そう感じます。







営業を通して学んだいのちのサイクル

営業職ってありがたい。人をこんなにも練磨して、美しくする。ノリノリの営業マンさんが賞賛され自信をつけて朝礼で一日を出発される姿、皆いい顔している。そんな方々であるのに、誰もがプレッシャーに弱いと言う。そんな自分との闘いなのだと言う。

髪を染めていない営業マンさん、男性のツヤツヤした黒い髪が、いいなと感じる。最近気づいたことだけど、染めている男性社員さんの顔を見続けると疲れを感じてしまう。そのまんまの加工なしの髪の方の顔は、肩の力が抜けて、ラクにさせてくれる。

ちっとも異性と感じないのだ。同じ釜の飯を食う兄弟のような気持ち。素の表情でつきあえる感じがする。会社でのやりとりは、二つの言葉が行き交う。「ありがとうございます」「感謝しています」そう、ここは内外クレームゼロの優良企業なのだ。

ついこの間まで、比肩(四柱推命用語の年回り)という先の見えないトンネルの中を歩いていた。十年に一度、或いは十ヶ月に一度巡り来るという、「冬」という停滞期。いくら良い種を蒔いても決して育たない。ひたすら春を待つしかない忍耐の時期。

冬の極寒は、いったんこれまでの菌を消滅させなければならないため、必要なものなのだという。人の運勢の巡りも一緒なのだ。いったんは生産を断つ。健康増進のための、断食療法のようなものなのだな。

萎縮し張り詰めた神経が、緩む春の訪れ。とうとう刑務所の塀を越えたかのような気分だ。昼休み、公園を歩く。ビオラやツツジの花を眺めながら散歩。大きな木を背もたれに、木陰でお弁当。そよぐ風にあたり、木洩れ日に本をめくり、森林浴にくつろぐ。

都会のビル六階までを、軽く覆い尽くす程の巨木が、五十本以上植林されているオフィス街の錦町公園。今まで気づかなかった。木陰をつくってくれている私が寄りかかっている木は、葉っぱを見てみると、桜ではないか。

花粉症から五月病とで、桜観する気持ちの余裕がなかった。ここに体と心を休めに来れば良かったのに。比肩(ひけん)という冬に感謝した。古いものをリセットし、もっと成長できるように、もっと発展できるように、神様がご計画されたサイクルのしくみなのだ。

落ち葉やワラを積み重ねて腐らせた肥料、完熟しては土になる。新しい命を生み出す力を持った、生命力ある土。そこまで完熟するのに辛抱強く待つ期間がいる。サイクルがあるのだ。人もそう、私は畑の土である。

プラス思考と根拠をつくる。そうだ、畑に良い種を蒔こう。プレッシャーに弱いと誰もが言うが、サイクルがあるのだから仕方ない、そして大丈夫なのだ。怖がらなくいい。死と消滅の後には生命が興るのだから、問題ない。営業を通して学んだ、いのちのサイクル。

(二〇〇五年五月二十六日)

昔の日記記事の編集に、いささか限界を感じながらも、

読み返してみて、考えさせられることもしばしばです。






神の愛って何?たとえていえば子供の時から聞かされた親の小言だよ

小言について書いたあと、クリスチャンの方の言葉を思い出した。

「親の小言が時々、ふっと思い出されるよね。神の愛とは、親の愛に一番近い。時々親の言葉が浮かび、自分の言動を戒めることがあるではないか。だから、神の愛って、たとえていえば、子供の時から聞かされた親の小言だよ」

私の祖母、母の母親は五十代で逝った。

「うるさくて厳しくて、若い時はとにかく離れたいって思ったものだ」

回想する母の細い目。遠く時を刻んだ後に、

「ああ、そうだったのか、ありがとうございます」

と思えたと言っていたこと。

親に対してうるさいと思った時、親をうるさがる顔を子供がする時、言う側の親が何を思うのか、わかったような気がした。

目上の親に対して、そんな態度をとるなんて。こんなことではよそにいって、世間に出て行ってうまくやっていけないだろうに。大丈夫だろうかこの子供。そう案じていたのだろうな。

なんだ、親はそんなことを心配していたのか。そんなことだったら、ちょっとの間、ちゃんと素直に聞いた振りをして、

「お母さんの言うとおりだと思う。私が悪かった。ゴメンね。今度から直すね。」

と素直な顔で、にっこり笑って言ってあげたら良かったな。

素直でいい子だと安心したはずだ。

と書いたとたん、やっぱりだめだと思った。親に「振り」は通用しない。心を見破る親。そして家庭の中は、その子の心が丸裸だ。

親は、子供がよちよちの時から、いろいろな言葉をかけて育てる。あっち行ったら危ないよ。これは、危険だよ。小さなことに注意を払い、目配りして育てる。そうしないと、大変なことになる。人間の子供は、動物の子と違って、勝手にすぐには成長しない。やたら、手間がかかる。

人は、こうして物心ついた時から、親の言葉をたくさん聞いて育つ。頭にいろいろなことがインプットされて、注意を払いながら、危ないことを避けて無事に生きていける。

それは、年を取ってからも思い出すことがある。

「そういえば、親がこんなことを言っていたなあ」

年配の方でも回想して若い人に話して聞かせることがある。

つまり、クリスチャンのその人はこう言いたかったようだ。親の小言が時々、ふっと思い出されるよね。神の愛とは、親の愛に一番近い。時々親の言葉が浮かび、自分の言動を戒めることがあるではないか。だから、神の愛って、たとえていえば、子供の時から聞かされた親の小言なのだよと。(二〇〇五年五月九日)

十年前の日記記事を編集して、塾の提出文にしているが、

10月30日、送信できなかったものです。






小言を言ってくれる人があるってうれしいことだよ

「頼みがある。子供達にこう言ってくれ。親は子供に小言を言うだろうが、反抗するなって。小言を言ってくれる人があるってのはうれしいことだよ。おれみたいに、言ってくれる人が誰もいないってのは寂しいもんだ。それに対して文句を言うってのは贅沢だよ。」「下座に生きる」(著・神渡良平)より。

親のいない子がひねくれて育ち、青年期に病で亡くなるという時、はじめて人から親のような愛情を注がれ、こう言うのです。

 男は女が身篭ったと知ると逃げ出し、女は子を産んでまもなく命をおとす。親がいずに育った子は、どうせ俺は男と女がいちゃついて出来た子と、人に心を開かない。誰にも愛されず、皆に嫌われ汚い言葉を吐いて、やがてその子は重い病にかかり施設の中でも隔離され死を待っている。

 一燈園の三上さんは、「心の話」をしに、施設や学校をまわっていた。そんな時、死を待つ隔離病棟のその子のもとを訪ね、足を揉みながら、誰もしえない献身的な愛の行動にでる。死の直前、本心がはじめて人に屈服したその子が、三上さんを前に言う言葉。

 「おっさんは、学校とかも廻るんだろう。その時、子供達に言ってくれ。親は子供に小言を言うだろうが、反抗するなって。小言を言ってくれる人があるってのはうれしいことだよ。おれみたいに、言ってくれる人が誰もいないってのは寂しいもんだ。それに対して文句を言うってのは贅沢だよ。」

 この青年の言葉は、私の心をジワッとさせた。遠くに離れた母親の小言が始まると、いつも「じゃ、またね」と、そっけなく、すぐに電話を切ってしまう私だったから。心の中で、うるさい、聞きたくない、ストレス感じる、傷つく、やめてと、素直に聞けない。

 友人の淳子さんの家もそうだった。淳子さんの母、のぶこさんが私に言う。

「娘がよくストレスって言うけど、ストレスって何?はっきり言われたら傷つくだって。親だから、本当のことを言うんじゃないの。親だもの、親が子供に対して悪いこと言うわけない。親の言うことは素直によく聞くもんだよ。」

何度か聞かされた。第三者の私は客観的に「そうですよねぇ」思わず相槌を打っている。自分に言われているようだと思いながらも。

 淳子さんは嫁ぎ先から時々子供を連れて帰ってくるが、会えば、母親からの小言には気が滅入ると言う。古い農家のお母さんであるのぶこさんは、良妻賢母を思わせる完璧な人。とにかく働き者だ。家事は仕事の内に入らないという。味噌や醤油は自分の家で作るのが当たり前。七十代というのに、街を歩けば早歩きの私と同じ歩調だ。

 なぜか私と気が合い、可愛がってもらっている。時に母子の間に入り、のぶこさんには友人側から見る、淳子さんのいいところを率直に話してあげる。淳子さんにはのぶこさんのいいところを思っているとおりに伝えてあげる。親のことを誉めてもらうのは、悪い気がしないと言う。のぶこさんもそのようだ。私の子だもの、いいところは私似だというように楽しそうな顔をされる。

 そんなことを通して、親の小言は最近気にならなくなってきた。すると、不思議なもので、あまり言われなくなってきたような気がしている。

さて、最近のストレスの元は何だろうか。上司の小言?もちろん言われた後は、「ありがとうございます」と言って控え目な微笑みで受け入れる姿勢を示す。しかし内心では、小言に対する不快をすぐには治めきれないでいた。

のぶこさんを通して親の言葉に素直になれた。

社会生活で耳に痛いことばの直撃にあったとしても、素直にそれを愛と受け止めたい。(二〇〇五年五月八日)

この課題に取り組むために、図書館に行った。

どれを選ぶべきか難儀した。

本を探すのに困って、職員の人に尋ねる。

聞けば、色々な情報も教えてもらえ、

本が探しやすくなる。

宮城野原図書館の女性職員さんありがとうございます。

本の書棚が、どのように分類され、管理されているかがわかってきた。





●「吾輩は猫である」著・夏目漱石

吾輩は猫である。名前はまだ無い。

どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪(どうあく)な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。しかしその当時は何という考えもなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始(みはじめ)であろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶だ。その後猫にもだいぶ逢ったがこんな片輪には一度も出会(でく)わした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起している。そうしてその穴の中から時々ぷうぷうと煙を吹く。どうも咽(む)せぽくて実に弱った。これが人間の飲む煙草というものである事はようやくこの頃知った。
 この書生の掌の裏(うち)でしばらくはよい心持に坐っておったが、しばらくすると非常な速力で運転し始めた。書生が動くのか自分だけが動くのか分らないが無暗(むやみ)に眼が廻る。胸が悪くなる。到底(とうてい)助からないと思っていると、どさりと音がして眼から火が出た。それまでは記憶しているがあとは何の事やらいくら考え出そうとしても分らない。
 ふと気が付いて見ると書生はいない。たくさんおった兄弟が一疋も見えぬ。肝心の母親さえ姿を隠してしまった。その上今までの所とは違って無暗に明るい。眼を明いていられぬくらいだ。はてな何でも容子(ようす)がおかしいと、のそのそ這い出して見ると非常に痛い。吾輩は藁の上から急に笹原の中へ棄てられたのである。

E女史が出された課題の取り組みは、

やってみたら面白かった。

書き写すだけでも勉強になる。





●「雪国」著・川端康成

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように、

「駅長さあん、駅長さあん。」

 明りをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。

 もうそんな寒さかと島村は外を眺めると、鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっているだけで、雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた。

●「貧者の恋人」著・川端康成

 レモンで化粧することが彼女のただ一つの贅沢だった。だから彼女の肌は新鮮な匂いのように白くて滑らかだった。彼女はレモンを四つに切り、その一切れから一日の化粧水を搾り出した。残りの三切れは切口に薄紙をはって大切に蓄えておいた。レモン汁のさわやかな刺激で肌を冷やさないと、彼女は朝を感じることが出来なかった。

E女史より届いた課題


「お心を打たれた「ことばの力」を、Kさんのエッセイにも、

こめてくださること、楽しみにしております。

私は、2冊の本を完成させるまでは、バタバタしていて

読書会には参加できないかと思います。

   さて、30日まで、小説の出だしの文章で、心に響いた言葉を5つ、

   メモしてきてくださいますか。

   その言葉が、ご自分の日常で浮かび上がる時はあるか?も。。。

   

    

   では、楽しみにいたしております。Eより」

                          

●「花はくれない 小説佐藤紅緑」著・佐藤愛子

 私が生まれたとき、父は五十歳であった。

 そして私がもの心ついたとき、父は大衆小説の「大御所」といわれる存在だった。私たちは幾つも部屋数のある古い大きな三階建の家に住み、父は朝も夜も小説を書いていた。

 私が道を歩いていると、通りすがりの人たちが私を見ていった。

「あれが佐藤紅緑の娘だ」と。

 私たちの住んでいたところは、阪神地方の小さな村だった。その村で私たち一家を知らない人はいなかった。

 私は父を誇に思っていた。元旦の朝、村の鎮守様へ父と一緒に初詣でをするのが、私は恥ずかしくもあり得意でもあった。私たちが歩くと、村の人たちはふり返って一歩退くような気配で私たちを眺めた中にはうやうやしく父に挨拶をする人もいて、そんな人は父と挨拶をし合う間柄であることを人々に見せびらかそうとしているように見えた。

 しかし成長するにつれて、私の中で父への尊敬が次第にうすれて行った。私は父が恥かしくてたまらなくなって行った。


塾から借りてきた本は、

「文章読本」丸谷才一


ところでE女史、右手がダランと使えなくなったとのこと。

二冊の本の出版への集中に、疲れがでたようで、

茶碗洗いにもお困りだ。

毎週金曜日の午後なら、手伝いに行ける。

お客様へのお茶だし接待、茶碗洗いや、掃除など。


この日、塾生が二人増えた。

第一号の塾生が作成した月謝袋を、いよいよ使ってもらえる時がきた。

喜びだ。


次はお客さまの取材に、塾生たちがインタビューに伺う。

お客さまが作成した出版本を塾生たちが購入し教材につかわせて頂く。

インタビューの際、流れを予測して、質問をあらかじめ用意しておく。

そのために、作成本を読み込んで勉強しておく必要がある。

それをしながら、おのおのの本づくりの勉強に役だつことになるだろう。



読書会メンバーも一人、新しい方が来られ、増えた。

ここの読書会は非常におもしろい。

すでに、紹介された本を二冊読んだ。

「晩鐘」著・佐藤愛子

「こころの手足」著・中村久子


一人の趣向では、決して手にとらなかった本だ。

そこから、「血脈」上・中・下を軽々読み上げる。

今は「花はくれない 小説佐藤紅緑」の途中。


小説の書き出しの課題で、川端康成と夏目漱石の小説を選んだ。

佐藤紅緑の青年期を読んでいるところ。

夏目漱石や、正岡子規との関わりの描写の場面にきており面白い。

読書会や、本づくり塾も、

熱を帯びてくる予感ひしひし。


ここの場所に、久々に来てみたのだけれど、

きままに書いてみた。

ここを雑記帳広場として、少し利用してみようかと思いつく。


■本づくり杜塾の課題


「小説の出だしの文章、心に響いた言葉を書き出す」


●「女と味噌汁」著・平岩弓枝

男が目覚めた時、飯が炊けていた。

顔を洗い、髭を剃っている間に、白菜の漬物を切り、しらすぼしに大根をたっぷりかけたのが膳へ乗った。

台所の隣が四畳半の和室で、食膳はそこに作られている。

「久しぶりだなあ、畳の上で朝飯食うの・・・」

 すっかり覚めた眼で、広二はあたりを見まわした。和室の隣りは寝室に使っている十畳ほどの洋室、それにバス、トイレ、平凡なアパートの間取りだったが、どこも、きちんと片づいていた。

 芸者の部屋というような自堕落な雰囲気はなかった。朝日のさしている花模様のカーテン、五、六種類の化粧品がのっている小さな鏡台、テーブルのすみにおいてある白い台布巾など、一つ一つが清潔であり、生き生きとした生活の匂いがあった。



上に倣って、自身の生活描写を一枚の紙に一時間を使って書き出すようにと、突然授業で言われる。

「無理」

とっさに音を上げた。

「できなければ、それでもよい。

 一時間を空白のままおえるだけ」


というE女史のことばに、

はらをくくる。

とにかく、白い紙をうめよう。

空白の白い紙のままで一時間をやり過ごすのではつまらない。


なんでもいいから、ことばをならべればいい。

心の準備に、白い紙に罫線を引く。


白い官製葉書を埋めるのに難儀するが、

二段組にして、

赤やピンクの色ぺんで罫線を引っ張って型をつくる。

あとは、なんでもいいから、ことばを並べるだけ。


韓国語で書けというのではない。

お得意の日本語で書いてよいというのだから、

書けばいい。


時間が過ぎて、書けた。

というか、埋まった。

文のキモも何もない。

と思ったが、生活描写を書くという課題であるから、

これでもいいのかと胸を撫で下ろす。


提出したあと、自分の悩みを打ち明けた。

「まったく、かけない」

という日頃、常々、苦しんでいる思い。

それをE女史に打ち明けたら、開放された。


書けないってことはないはずよ。

むしろ言葉にしたいことは溢れているんじゃない?

話したくてたまらないことが、つまっているはず。

テーブルに小さいノートを置いておくのよ。

思いついたことを書いていく。

いつも私はそうしているのよ。


塾が終わって、雨が降り出したので買い物はせず、

家に走って帰った。


今日10月30日は結婚記念日。

夫が幾種類ものケーキを買ってきた。

にんじんたっぷりの濃い野菜ジュースで乾杯。



●私と味噌汁 

夫が目覚めた時、ご飯も味噌汁も出来ていた。

わかめを水で戻し、塩をぬき、ザルにあげておく。

ガラスボウルに入れて、キッチン鋏で切っておく。

次に台所シンクでごぼう二本皮をそいでそぎ切りにする。

たっぷりのなべで味噌汁を作る。

この後、油揚げ、豆腐、味噌が入る。


玄米三合を水で軽く洗い、茶こしで水を切る。

 押し麦と小豆を入れて圧力釜で炊くこと二十分。

 家の中央にある日曜日のリビングに朝の湯氣がたつ。

 夫が洗面所で顔を洗い、髭をそっている間に、

妻は台所にて即席で食べられる大根の漬物を仕込んでいる。


玄関横の洋室四畳半は食料庫となっている。

市場で買ってきたごぼうが新聞紙にくるまれている。

にんじん、大根、芋類は欠かせない。

十月になると、りんごや柿の果物が置かれるので、

その部屋はいい匂いがじゅうまんする。


妻は前の晩のうち、フローリングの床ふきを終えた。

久しぶりに柱も磨きあげる。

玄関のたたきも拭きあげ、

トイレもこざっぱりときれいにする。

寝室の床も雑巾を固く絞って拭き清める。

溜まったゴミは夫が捨てに行く。


日曜日の朝、洗濯は熱湯で洗いまでを妻がやり、

脱水後は夫が干し、取り込みまでをする。

妻はその日、仕事のため、夫の車で駅まで送ってもらう。

その後、夫は洗車をしに行き、食料を調達しに行く。

奥の八畳洋室に以前はお客さまをお通ししていた。

今は夫がその広いテーブルを専用につかっている。