2021年10月10日からのブログお休み中に作成したものです、記録も兼ねて
父のことなので、本来ならばアメンバー限定記事にするブログですが、父の最後の抗がん剤治療の日に作成したもので、アメンバー限定記事にはしないことにしました。沢山の方に読んで頂きたいので。
2021/11/22
父が抗がん剤治療を受けるのは今日が最後
2017年5月から最初は内服の抗がん剤を毎日と骨を強くする注射を月に1回だったかなぁ。。途中、内服の抗がん剤だけになって、治験薬を試してみたり、そして昨年の8月からは点滴の抗がん剤になって。。2週間に1回だったり、毎週になったり。。
2019年2月に脳梗塞になって、そこから認知低下が進んでしまって。。
それでも抗がん剤の副作用もそんなになく割と順調にきたけど、点滴の抗がん剤の負担は大きくなって、免疫低下で褥瘡ができたり、食欲低下で何にも食べれなかったりすることも増えて。
今年の9月から抗がん剤の量を少しずつ減らして、止める方向へと進んできたけど、量を減らしたことが身体には良かったのか、最近は食欲もあって、調子がいいし、血液検査の結果もよくて、数値的にはまだ抗がん剤治療もできる状態だと主治医先生には言われている
止めると決めた決定的な理由は、失禁が増えて、オムツでの対応も難しくなってきたからというのが1番
介護している過程で、自宅介護を諦めることを考える時、それはトイレが自分の意志で出来なくなったらと私は考えていた
それでもオムツでなんとかやってこられていたのが、段々トイレに座るまで我慢できなくなってきて、トイレの床を汚してしまうことが増えて。
仕事に行く前にそんなことがあると、どうしても声を荒げてしまったり。。
糖尿病って診断されたくらいからだったので、心は毎日乱れていた。。
でも通院の付き添いに行ってる姉がまだ頑張れると言ってたし、失禁も毎日ではないので、様子をみていたんだけど、夏が終わるくらいから便失禁もするようになって。。
そして決定的に私の気持ちが切れたのは、朝方トイレがわからなくなって、リビングで便失禁したこと。。
あの時も大声をあげてしまった。。
認知症って分かっていても、優しく接することができない自分にも腹立たしくて、あの朝のことは忘れられない。。
そんなふうに心が乱れる自分も嫌だし、それをいつまでも引きずってしまうからすごくストレスになってしまう。
でも姉はというと同じように声を荒げたりするし、もっとひどいことを父に言ったりするんだけど、30分後にはケロッとしてたり、笑いながら汚物を片付けたりしてる。
だから姉からしたら、騒いでるだけで、私は何にもしないになっちゃう。
あの一件で私の心は壊れたけど、姉はまだ毎日じゃなければ大丈夫と言っていた。。
でも姉の心が限界になるのもそんなに違いはなかった。10月の抗がん剤治療中に失禁してズボンを汚してしまい、病院から呼び出しがきた。。、
コロナ禍で付き添いが認められていないのに、許可されて、1日付き添うことに。
この一件で姉の心も決まった。。
11月で抗がん剤治療を止めて、我が家で年を越して、来年から病院か施設へ。
今日が最後の抗がん剤だから、その効果で自宅にいるあと1ヶ月ちょっとは体調も安定したまま過ごせると思うし、そうであってほしい。
でも年明けは分からない。
寒さもピークだし、癌が身体を蝕むスピードが早くなるかもしれないし、自宅から環境が変わると一気に認知が進むだろうし、、
本人はどう思っているか分からないけど、最期まで治療を全うできなかったことが、1番悔しい。。
癌を戦い抜いて、最後は緩和で最期を迎えてほしかった。。認知症にさえならなければそれは叶ったのに。。。父は癌の治療をやりきって癌で最期を迎えるとばかり思っていた。。高齢癌患者だからありえることだけど、認知症になるなんて、全然思っていなかった。そしてそれによって癌治療を止める選択をするなんて全然思っていなかった。。
最期が選べないってことは分かってたつもりだったけど、分かっていなかった。。この悔しさはずっとずっと引きずって生きていくと思う。
今は出来る限り1日でも多く穏やかに過ごせる日が続きますようにと願うだけ。。
4年半の抗がん剤治療お疲れ様でした。