こんにちは~
ハーセプチンの治療を終えて、ひとつの区切りを迎えたので、今日は『私と癌』について書いてみようと思います
癌というものと私が関わってきた今までをつらつらと綴りましたので、お時間がある時に読んで頂ければと思います
Part2までありますのでこちらはコメント欄閉じます。
私は小学生くらいの頃から病気に対して神経質な子供でした。
例えば頭が痛かったり、お腹が痛かったりすると、何か悪い病気じゃないかって考えてしまう子供でした
多分、原因は母です
私の母は若いときからよく病気がちで、私が中学生になるまで、5回入院しています。
深刻な病気ではなかったのですが、『また入院するの』ってよく母に言ってた記憶があります。
母の一番最初の病気は私がまだ一歳の頃、甲状腺腫瘍でした。
それが前がん状態といえるものだったんだと理解したのは大人になってからです。
でも母と祖母の会話で再発したら・・・みたいな言葉を聞いたことがあるので、テレビなどで再発という言葉がどういうときに使われるかなんとなく知って
いたし、お母さんは癌だったのかもとずっと思っていました。
そういう経験が私の癌への意識を高めていったと思うんです。
中学3年生の時に、胸にしこりができてすごく痛くなったときがあって、一人で乳がんかもしれないって悩んだ時がありました。
1週間くらい悩んで、食欲もなくなってしまって、母に言って、母の甲状腺の主治医に診てもらったら、生理前で乳腺が張っているだけだと思うって言われて。。数日後、生理がきて本当にしこりも消えました。。
それが最初に乳がんを意識した記憶です
それからしばらくはそんなことも考えずお気楽に人生を楽しんでいましたが、、、
1998年8月、祖母が大腸ポリープを手術しました。
実際は大腸がんでした。それを両親は祖母には告知せず、私と姉にも黙っていました。
あとから聞いたのですが、術後5か月で肝臓に転移しているのが分かって余命半年と言われたと。
当時は83歳の肝臓転移の患者には抗がん剤の選択はなかったのか、無治療だったと記憶しています。
2000年に入ってから祖母がすごく痩せていったので、なんとなく私は癌なのかなと思っていて、そのころになると身体の浮腫みなどの不調が出てきた祖母も身体のことを心配しだして、隠している母も、きっとストレスが溜まっていたと思います。
2000年5月におばあちゃん癌だから優しくしてあげてって私と姉は知らされて、その少し後に、もう隠すのも限界がきて、祖母にも母から癌だということを伝えました。
『ホッとした』
その言葉が今でも耳に残っています。そうですよね、当時はまだ癌を本人には隠すことも多い時代。
でも祖母はすごく不安だったと思うんです。ポリープを切除したのに、痩せたり、身体の不調がでてきたり。。だからなんかホッとしたという言葉、すごく胸にしみ込んできました。
その告知から1か月くらいで腹水がすごく溜まって、自宅で過ごすのが限界になって入院。
入院生活25日くらいで亡くなりました。いつ亡くなるか時間の問題と言われた最後の1週間は母が昼、父が夜、その合間に私と姉、いつも誰かが付き添っていました。今みたいに緩和医療がまだ進歩していなかった時代なので、最後は相当痛みがあり、早く楽になりたいって言ってたと父から聞きました。でも余命半年の宣告より1年も長く頑張りました。
身近な人の癌を初めて経験したのがこの時です。
祖母が亡くなって7年後に母が乳がんになりました。
診断される2年前の検診で要精検になって経過観察をしてから診断がついたので、とても穏やかな癌だったし、1cmほどの早期癌でした。祖母の時と違って、さらっと本人に告知されたようです。
当時、私は結婚して家を出ていたので、告知されてしばらくして実家に行った日にこれまたさらっと、『お母さん、乳がんだから』って報告を受けました。
まだ63歳だったし、母が癌になったというのは衝撃でした。祖母よりもずっとずっと母への距離は近いんですよね。
そしてまだ乳がんのことをほとんど知らなかったので、お母さん死んでしまうかもしれないと単純に思ったことを覚えています。
その時に、図書館にいって乳がんの本を沢山かりてきて、必要なところはコピーして実家に送ったり、乳がん闘病記のような本も何冊か読みました。
でも我が家の私以外の人々・・・・かなりドライなんですね
私がそんなコピーなんかを沢山送ったので、『くぅちゃんは、頭がおかしくなっちゃったんか』って思っていたらしいです
母の乳がんは本当に早期だったんで、今だったら早く見つかって良かったねで済んでいると思いますけど、当時の私にはかなりの衝撃でした。
そこから乳がんのことを色々調べ始めて、乳がんは遺伝することもあること、大腸がん、乳がんの家族歴がある人は乳がんになるリスクが高いことを知ります。
当時33歳。。
乳がん検診を受けましょう~と推進され始めていた時代。でも乳がん検診の敷居は高く、35歳過ぎたら考えようくらいに思っていたのですが、母が乳がんになったことで、検診を受けてみる決意をしました。
~・続きます・~