地震のあった日。
私はお客様と話をしていました。テレビから警戒音が流れ、揺れに揺れて、電化製品全てが切れた。パニックになって、上司もあたふた。意外な人がリーダーシップをとっていたりして。
私は今とは違う課にいたので自宅待機と言われて、お家に帰りました。
その当時、母は闘病中。私に迷惑をかけまいと、おばの家に身を寄せていました。
おばの家との距離は車で約1時間。
迷いに迷い、お母さんに怒られるかもと思いながら、おばの家に向かいました。
信号機も機能を果たさず、暗いなかを何とか行きました。
母に会った瞬間、私はやっと生きてると実感できました。私に会えた母は大喜びして(≧▽≦)
ふたりで「生きてることの奇跡と気持ちを伝える重さ」を痛感しました。
母は8か月後、この世を去りました。
震災で突然、たくさんの命が奪われ今もなお見つけてもらうのを待ってる命がある。
大切な誰かに、何も言うことができない。
だからこそ、生きている人間は、忘れてはいけないと思います。
きっと、私の母も空の上かどこかで、私に同意してくれているでしょう。
生きている人間は、忘れてはいけない。
最期の別れをきちんとできなかった悔しさを忘れてはいけない。
生きていれば、できることがたくさんある。できなかった人の分だけ幸せにならなければ。
大切な誰かを亡くされた方が、今日1日どんな思いで過ごしたか、家族がいない私には少しだけわかるような気がします。
私は、無言で、そばにいることくらいしかできないな。
あっという間に4年。でも気持ちは追い付いているのだろうか…。
私はお客様と話をしていました。テレビから警戒音が流れ、揺れに揺れて、電化製品全てが切れた。パニックになって、上司もあたふた。意外な人がリーダーシップをとっていたりして。
私は今とは違う課にいたので自宅待機と言われて、お家に帰りました。
その当時、母は闘病中。私に迷惑をかけまいと、おばの家に身を寄せていました。
おばの家との距離は車で約1時間。
迷いに迷い、お母さんに怒られるかもと思いながら、おばの家に向かいました。
信号機も機能を果たさず、暗いなかを何とか行きました。
母に会った瞬間、私はやっと生きてると実感できました。私に会えた母は大喜びして(≧▽≦)
ふたりで「生きてることの奇跡と気持ちを伝える重さ」を痛感しました。
母は8か月後、この世を去りました。
震災で突然、たくさんの命が奪われ今もなお見つけてもらうのを待ってる命がある。
大切な誰かに、何も言うことができない。
だからこそ、生きている人間は、忘れてはいけないと思います。
きっと、私の母も空の上かどこかで、私に同意してくれているでしょう。
生きている人間は、忘れてはいけない。
最期の別れをきちんとできなかった悔しさを忘れてはいけない。
生きていれば、できることがたくさんある。できなかった人の分だけ幸せにならなければ。
大切な誰かを亡くされた方が、今日1日どんな思いで過ごしたか、家族がいない私には少しだけわかるような気がします。
私は、無言で、そばにいることくらいしかできないな。
あっという間に4年。でも気持ちは追い付いているのだろうか…。


