そもそも、「鬼」とは何ぞや?
「神」について語れる人は多くいるだろう。
たとえば宗教学者とか、はたまた、博識の知識人。
では、「鬼」についてはどうか?
おそらく、誰もが納得できる説明をできる人はいないのではなかろうか。
少なくとも、森羅万象を司るのは「神」ではなく「天」である。
「神」とは、人にとって都合の良い「善」を前提にして創り出された概念でしかない。
「鬼」はその概念に当てはまらない、もしくは外れる行為や存在として人が創りだした概念である。
つまり、「神」の象徴である「善」で説明しきれない事柄や行為を「鬼」の所業としているにすぎない。
とはいえ、ストイックに一つの道を極めた生き様を「○○の鬼」と表現してみたり、「鬼神」といった相矛盾した言い方をすることもある。
見方によれば、「鬼」に対する畏敬の念を現しており、それは即ち、「鬼」が摩訶不思議な存在であることを示している。
神でもなければ悪魔でもない、説明しようのない存在が「鬼」なのである。
古より、人は「神」の名のもとに殺戮を繰り返してきた。
キリスト教徒はエルサレム奪還という大義で「十字軍」という軍隊を組織し、イスラム教徒との間で長きにわたって戦いを繰り広げた歴史がある。
現在でもイスラムでは「聖戦」とい大義で無差別殺人をするテロ行為が行われており、強大な軍事力を持つ大国でさえ阻止することが困難になっている。
これらのテロ行為は「鬼」の所業なのか、はたまた悪魔のなせる所業なのか?
そうではなかろう。
テロ行為には、権力、特に大国の覇権という怪物が生み出した「不条理」に対する鬱積した不満が根底にある。
歴史的に権力側の思惑は大義とされ、民衆の小さな義は理不尽に握りつぶされてきた。
しかし、民衆の小さな義が膨れ上がり大きな力となって権力を掌握すると、新たな怪物が生まれて小さな義が握りつぶされる。
人の心にある光が「神」で闇が「鬼」とするなら、無理やり「鬼」に蓋をした結果が今の世情なのかもしれない。
「鬼」とは、天が人に与えた心の闇である。
「鬼」は闇にあるうちは冷静かつ客観的で道理を弁える。
しかし、一旦光が当たると怪物に変身する。
それ故、「鬼」は闇にあってのみ意味がある。
