駅舎探索 宗谷本線、石北本線 | outbackの旅日記

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日本中を気ままに旅する記録です。山の中の無人駅でビバークします。
タイトルが3代目になりました。レガシィ→ペケV→outback

9月18日(金)10日目です。本日は宗谷本線の名寄以南で昨年訪問できなかった所へ先ず行って、名寄から引き返して、石北本線に入る予定です。玉ねぎ列車は明日に予定しています。

 

宗谷本線の駅巡りを始めます。まず旭川を出て最初の駅は旭川四条駅ですが、この駅はまだ高架の下に設置されており、全く撮影意欲が湧きませんでしたので素通りしました。万一石北本線も宗谷本線も旭川からズバッと廃止になったとしても車庫の関係で、この辺りは電化されており、路線そのものは廃止になる事は無いから無視しました。

 

と言うわけで最初の訪問駅は二駅目の新旭川駅です。この駅までは電化されており、ここから宗谷本線と石北本線が分岐していきます。まだまだ旭川市内の真ん中ですが、木造駅舎が残っています。旭川の電車区は次の宗谷本線永山駅との中間地点にあります。ですから当駅も電化されています。営業電車は通らず回送電車しか通りませんが、、、、(昨夏撮影)

 

 

永山駅です。架線がなくなりました。しかしまだ旭川市内であり、JR直轄駅ですからみどりの窓口が設置されています。

 

北永山駅です。昨日富良野線にあったような面白みのない駅です。もう少しやりようがあるのではとも思います。全く情緒の欠片もありません。

 

 

 

南比布駅です。稚内までの大幹線R40の高架下にこそっと設置されています。この駅に入ってくるのは高架の陸橋を渡らず側道に入る必要があり、当駅到着後さらに北に向かうためには戻って高架を渡る必要があります。ホームは板張りの仮乗降場の正統スタイルになりました。この駅は来年3月で廃止になります。来年3月で廃止になる駅が、宗谷本線では大量に出てきました。周りは人家もなく道路と原野しか見えませんが、どこからかおばあさんがやってきて、乗車していきました。旭川行きですから病院か買い物と思われます。

 

 

比布駅です。一時ピップエレキバンのCMの撮影地として話題になりました。共演していた樹木希林も鬼籍に入られて、当時の会長も高齢でしたから、きっと空から見守っていることでしょう。駅舎は改修を受けて近代化されています。(昨夏撮影)

 

 

北比布駅です。この駅も来春三月で廃止になります。広い大地の北海道の原野を行くように見えますが、すぐ横をR40が並走しており秘境感はありません。写真はおいしい所だけ切り取りますから、事実ではあるんですが、現実とは異なることがあります。(昨夏撮影)

 

 

蘭留駅です。比布以来の交換設備のある駅です。少し雨脚が強くなってきました。珍しい2両連結がやって来ました。需要があるというより、途中駅までの折り返し用の回送運転目的もあるのかと思います。

 

 

塩狩駅です。当駅では塩狩峠の秘話も残っています。小説塩狩峠は実話を基に書かれています。1909年(明治42年)この峠付近で列車の連結が切れ、客車の一部が制御を失い坂を下り始めました。暴走する車両に乗り合わせた国鉄職員が手動ブレーキを作動させますが列車は止まらず、最後はこの職員が床下に巻き込まれて殉職しました。その後客車は平坦地で自然停車し、他にケガ人は出ませんでした。小説では列車を止めるために、自らの身を車輪に挟み込んだ事になっています。

そのため色々ホラーの話も出ています。人家は殆どありません。しかし宿泊施設や事故の資料館があります。千本桜も有名になってきました。当駅で交換する列車は多いので、廃駅になっても信号所としての機能は残るでしょう。(昨夏撮影)

 

 

和寒駅です。「わっさむ」と読むのは難読駅と言っていいと思います。JRの駅名あいうえお順で、最近蕨岱駅が廃止され、現在蕨駅(東北本線)が最後です。和寒駅はJR4484駅4479番目の駅です。和寒より後ろで有名どころは和邇駅(4480 湖西線)輪西駅(4481 室蘭本線)因みにトップは相生駅です。(山陽新幹線)

和寒駅では先程蘭留駅で見送った列車に追いつきました。

 

 

東六線駅です。開拓して広がっていった北海道らしい駅名です。佇まいも仮乗降場として、正統派のスタイルで雰囲気の良い駅です。しかしながらこの駅も来春三月には廃止になります。ホームを撤去したら、もうその存在はすぐに消えて自然に帰ってしまうでしょう。(昨夏撮影)

 

 

 

剣淵駅です。跨線橋に幕が張ってあります。このような風よけの処置は比較的よく見ます。

交換設備のある剣淵駅は剣淵町の中心駅です。南の東六線駅、北にある北剣淵駅と合わせて3駅が剣淵町に存在しています。JRとの協議の末、東六線と北剣淵駅の廃止を剣淵町は受け入れました。来春廃止です。維持のためには町税を支出しなくてはいけません。剣淵駅維持のために抹消を犠牲にしたという所ですね。駅名標も両サイドが来春以降は、左しべつ右わっさむと変わることになります。

 

 

北剣淵駅です。味わいのある駅なんですが、ノスタルジックだけでは生きていけません。乗降客が殆どいなくても現役の駅ならば、アクセス路の除雪もしなくてはいけませんし、待合室の明かりや暖房費も必要です。廃止は致し方ないでしょう。(昨夏撮影)

 

 

 

士別駅です。JR直轄駅ですから、みどりの窓口もあります。比較的大きな町ですから、駅前には農業用倉庫が幾つか建っていました。特急も停車して交換する基幹駅ですね。

 

 

 

下士別駅です。来春廃止になります。小さな掘立小屋が駅舎と言うか待合所となっています。旭川行きのサロベツが高速で通過していきました。北海道のディーゼル特急の高速化は驚くべきものがあります。狭いホームで待ち受けていると100㎞近い速度で通過していきます。かなりの迫力に押されてタイミングが少し早すぎましたね。

 

 

多寄駅です。士別で先程下士別を高速通過していったサロベツと交換した稚内行きの宗谷が、やはり高速で通過していきました。今度は駅近くの踏切で構えましたので、充分引き付けることができました。駅舎にかぶらないぎりぎりのタイミングです。宗谷とサロベツの違いは、札幌まで行くのが宗谷、旭川までしか行かないのがサロベツです。急行時代は天北線周り夜行の天北、本線回り夜行の利尻などがありました。長らくキハ56運転でしたが、キハ40をパワーアップしたキハ400や14系寝台車をディーゼルと混結した夜行利尻などがありましたが、特急格上げ後は、宗谷1往復、サロベツ2往復体制に落ち着いています。

 

 

 

瑞穂駅です。この駅は士別市に所属しますが、周りの環境を考えて当然JRは廃止の打診をしたはずです。しかし存続が決定しました。士別市が維持管理費を相当分負担することに同意したためでしょう。宗谷本線の駅存続のカギは、最早地元自治体次第となってしまいました。逆に言うと地元自治体が、万歳したら即廃止になると言う事になります。(昨夏撮影)

 

 

 

 

 

風連駅です。交換設備のある比較的大きな駅構造です。丁度列車がやって来ました。サボはふつう運転区間を表示するものなのですが、それすらありません。他に幕表示などもありませんから、外からはこの列車がどこからきてどこ行きなのか全くわかりません。10:10発の旭川行き快速なよろと言うのが正解なんですが、前後1時間ずつ上りも下りも1本の設定もありませんから、間違う事は無いんでしょう。

 

東風連駅です。面白みのない駅です。調べてみたら1956年開業とありました。富良野線の西シリーズ駅に近いです。当時旭川管理局に合理化の嵐でも吹き荒れていたのでしょうか?

 

 

名寄駅に到着しました。ホームにはずっと並走してくれた2両編成が休んでいます。この駅までで宗谷本線は終了です。この先稚内までは昨年全駅訪問を完了していますので、これで宗谷本線全駅訪問が終了しました。旭川四条駅は外しましたけど。

名寄までは路盤高速化工事が完了しているので、名寄以北と比べて早期廃止はないと思われますが、廃駅は続くでしょう。今回廃止は免れたようですが、蘭留、塩狩、多寄、瑞穂、風連、東風連等は、既に駅としての地域貢献と言う使命は終了しています。

 

この後旭川に戻り、石北本線を辿ります。

 

宗谷本線と新旭川駅で分岐した石北本線の最初の停車駅は南永山駅です。つまらない雰囲気が満載ですね。こういう駅を見ると、開業年度を調べるようになりました。南永山駅開業は1986年です。あの1858年組からかなり遅れての開業ですが、そのスピリットは継承されています。全く何も響いてこないつまらない駅です。

 

 

東旭川駅です。ここは千鳥ホームの駅です。こういう構造にすると、交換列車の先頭車両が目の前で向き合うようになります。タブレット交換のために長時間ホームを歩く必要がなくなり、時間短縮になる合理的な構造です。しかしながら自動信号になってしまったので、現在では旅客が無駄に長い距離を歩くだけの悪構造になってしまっています。

 

 

北日ノ出駅です。ぶっきらぼうな感じのする、ブロックを積み上げただけの待合室が特徴的です。街中にあるものの、あまり大事にされていない感じのする駅です。あっさり廃止されそうな感じです。

 

桜岡駅です。手前側の石積みのホームと、向こう側の安易なホームのギャップが特徴的です。交換設備増設したのか、何らかの事情で、後年作り替えられたような感じです。

 

 

 

 

当麻駅です。雨が上がって明るくなってきました。この駅は歴史を感じさせるどっしりとした構造の駅です。歴史を感じさせるホーム屋根、向こうに見える安全側線の名残、老舗と言う感じです。

 

 

将軍山駅です。なんか偉そうな駅ですが、ブロック待合所のある、仮乗降場構造の駅です。名前の由来は近くの将軍山と言う名前からとったそうです。将軍と言うのは開拓時代の陸軍少将が、その山に登って辺りを見回して、入植を決めたという逸話からきているようです。

 

待合所の中は、砂利敷でソファーや、自動車から外したシートが置いてありました。暗くて湿気も多い場所には布製では虫やカビが湧いてそうで、清潔感には欠ける感じでした。ダニやノミがいないのであれば、ベットとして最適ですが、そんな冒険はしたくない感じでした。

 

伊香牛駅です。この駅は学生時代来た記憶があります。木造駅舎でしたが、いつの間にかログハウスに建て替えられてしまっています。1988年(昭和63年)に建て替えられたようです。

 

愛別駅です。対向ホーム上に待合室もあり、跨線橋や駅舎もしっかりとした造りで、有人駅時代は乗降客も多く、賑やかであったろうと想像できます。

 

 

 

 

中愛別駅です。丁度キハ40同士が交換していました。長年キハ40は北の大地を走り続けてきましたが、H100形の登場で、函館本線の山線が既に切り替えられました。間違いなく他線にも切り替えの波は来るでしょう。今キハ40とキハ54でローカル輸送を一手に引き受けていますが、ステンレスで車齢の若いキハ54よりキハ40の方が先に廃車されていくでしょう。H100形は混結できるのかどうか知りませんが、根本的システムが違うので、総括運転ができないんじゃないかと思います。と言う事はキハ54をどこかに集中させ、それ以外はH100形に置き換えていく感じではないでしょうか?

 

 

愛山駅です。例によってホームは二両分の仮乗降場です。先程中愛別駅で交換した上川行きが発車する時に到着しましたので急いで、撮影しました。慌てていたため愛山駅の待合所の撮影を忘れてしまいましたので、ウィキから拝借します。まさに掘っ立て小屋ですね。

 

 

撮影を忘れた要因の一つに、急げば次の安足間駅でも捕まえられるかもと思ったからでした。結果他的には駅舎に至るために渡る踏切の所で、安足間駅出発の列車を見ることになりました。後ろに見えている跨線橋が安足間駅です。

列車通過後安足間駅に入場しました。この駅も学生時代来たような記憶があります。

 

本年3月に廃止された東雲駅です。「とううん」とそのまま読むのが正式名です。国道の防風フェンスの隙間から入ってくることができますが、判っていないとスピードの出る国道から、この狭い隙間で左折して入ってくるのは容易ではありません。私も通り過ぎてしまってかなり向こう側から細い道をくねくねと曲がってようやく到着した記憶があります。御多分に漏れず廃止理由は、誰も利用しないからです。(昨夏撮影)

 

 

上川駅です。先程からの上川行が待っていてくれました。まあ終点ですからしばらく停車後旭川に折り返していきます。石北本線の各駅停車の運行は上川駅で全て分断されています。ここから先遠軽方面には、各駅停車が1日2往復しか設定されていません。北見峠を越えての人の移動が極めて少なく、白滝シリーズの数駅が廃止され現在は上川-白滝-丸瀬布ー瀬戸瀬-遠軽とシンプルになっています。上川―白滝は37.3㎞、白滝-丸瀬布は19.7㎞もの駅間距離が現在ではあります。

 

昨年上川-丸瀬布は、廃止された信号所をすべて回りましたのでこれから丸瀬布までは昨年撮影のものになります。

天幕駅跡です。2001年に廃止になっています。当初は交換設備のある駅だったのですが、廃止直前棒線駅になったようです。かつての駅前広場だったところに天幕駅跡の記念碑が建っています。線路は交換設備があったと思わせる、向こうの方で少しカーブが残っています。(昨夏撮影)

 

 

中越信号場です。2001年中越駅から信号場に格下げになりました。現在は旅客取り扱いはありません。ここは学生時代に1泊世話になった駅です。(昨夏撮影)

 

 

上越信号場です。1975年に旅客扱いを廃止して信号場になりましたが、廃止後も一部の列車が停車して乗降できたという記録があります。この上越信号場は、国道から狭い林道に入って、高速道路との交差付近にあるのですが、今でも国道からの入る場所に上越駅への案内があります。木造駅舎も残っており、中々趣があります。(昨夏撮影)

 

 

上越信号場の先に北見峠があり、サミットを超えると白滝シリーズの始まりです。最初は奥白滝信号場です。2001年に信号場に格下げになって今に至ります。ここも木造駅舎が残っています。今でも作業員詰め所として活用されているような感じでした。(昨夏撮影)

 

 

 

上白滝駅跡になります。跡なんですが、全く面影はありません。電気関係のBOXに上白滝との表示があるだけです。仕方がないので、ウィキから拝借してきました。2016年廃止されその年のうちに駅舎が解体されたとの記載がありました。私のナビは古いのですべての駅が現役で活躍してるかのように地図で表示されているので簡単に到着することができます。天幕駅はわからなかったですが、、、(昨夏撮影)

 

 

白滝駅です。シリーズ最後の砦の現役です。白滝集落の中心に当たります。昨年はこの駅でビバークしました。待合が広くて大きなテーブルもあってとても使いやすい駅でした。列車が16時頃から20時半頃まで、特急列車すらまったくやって来ません。駅に人も誰一人やって来ませんので、のんびり食事をすることができました。(昨夏撮影)

 

 

 

旧白滝駅跡です。ここも何も痕跡が残っていません。2016年3月に廃止になりましたが、ただ一人通学で利用していた女子高生の卒業するのを待って廃止になったので、当時感動秘話として結構話題になりました。しかし駅舎はその年のうちに解体されましたので又々ウィキから拝借してきました。

全国で旧と言う名前がついてる駅は唯一だったのですが無くなってしまいました。旧と言う意味は、最初に入植した土地だったんですが開拓がうまくいかず、次々と開拓者が今の白滝の方へ移住していったことから旧白滝となったようです。(昨夏撮影)

 

 

白滝シリーズ最後の駅、下白滝駅です。こちらも2016年に信号場に格下げになり、旅客取り扱いを廃止しました。信号場として現役です。そのため木造駅舎は解体されずに残っています。閉鎖されて中は伺えませんが、駅舎が残っているだけで満足です。(昨夏撮影)

上川-丸瀬布57㎞丸々昨年撮影したものを引用しました。今年は実際には上川から無料高速で一気に北見峠を越えて、丸瀬布駅までやって来ました。すごく立派な施設に建て替えられています。生涯教育館と表示されており、丸瀬布駅の表示はどこにもありません。

入ってすぐ左手に生涯学習館の入り口が見えます。多目的に様々な活用ができるように、図書館みたいなカルチャーセンター見たいな防災センターのような施設です。

そして駅の方はと言うと、施設の勝手口の様な所が駅への改札口です。

生涯学習館の裏手に雑草が生えまくった、丸瀬布駅がひっそりとありました。恥ずかしいから隠しているような感じさえします。

 

瀬戸瀬駅です。上から読んでも瀬戸瀬下から読んでも瀬戸瀬と一時話題になりました。志布志(日南線)とセットで言われましたね。交換設備のある標準的な駅です。

さて今夏の大きなテーマの一つ石北貨物、別名玉ねぎ列車を狙います。と言ってもう今日は撮影できませんから、明日の為に予習をしに来ました。これが有名な遠軽駅を遠望できる跨線橋です。旭川方面と網走方面が分かれる地点に架かっていますから、遠軽駅でスイッチバックする列車を眺めることができます。正面の跨線橋の向こう側に両線に挟まれた三角形の土地に車を止めることができ、そちら側からも階段がついていて跨線橋に上ることができます。

16:45頃網走方面から17:06白滝行が到着してきました。

 

渡線を通って2番ホームに入線しました。まだ後部側を示す赤い灯が点灯しています。

16:54頃旭川方面から快速きたみがやって来ました。17:01北見行きです。

 

 

こちらも渡り線を通って1番線に入線しました。2番線の白滝行は赤色灯が消えました。

17:01北見行きの前照灯が点灯しました。

 

北見に向かって出発していきました。

17:06白滝行も前照灯が点灯しました。

 

 

こちらも白滝行が出発していきました。

いやあ、見てて飽きないです。ずっと見ていたい気分でしたが、ビバーク予定地点の安国駅の方へ行くことにしました。

 

 

遠軽駅の隣の安国駅です。長い交換設備を持つ駅です。実際貨物の長時間停車があるようです。朝イチの便です。

本日はこの駅でビバークとなりました。すぐ目の前にセイコーマートがありました。セイコーマートは北海道をメインに北関東辺りまで進出しているコンビニです。品ぞろえが大手と違って家庭的な総菜などが多いですね。湯煎でたべるものが少ないので、私にとっては選択肢が減るので、極力他の店にしていますが、たまになら問題ありません。

 

さて明日はいよいよ、玉ねぎ列車に挑戦の予定です。ようやくダイヤグラムを手に入れました。今回狙うポイントとしているのは北見方面へ向かう下り列車なので、朝と昼頃にスジがある事になります。とりあえず朝の1本目は、本日の遠軽駅の跨線橋で撮影して、その後安国駅で長時間停車(20分)している内に追い越し、常紋峠に向かおうと考えました。常紋峠のポイントは行った事がないので間に合わなければ昼の便を狙う計画です。