まだ9歳の頃でしたが、かすかな記憶が残っています。翌年の北陸トンネルでのきたぐにの食堂車火災と共にトンネル事故が続いた頃でした。
その後近鉄は、新青山トンネルを掘り、今では複線で安全なトンネルに生まれ変わっています。
本日二番目のお題は、山の中に残っていると言われる、旧東青山駅を訪ねました。
R165を青山峠を越えて三重県側に下りてきた所にある垣内交叉点を左折して、県道に入って行きます。初瀬街道になります。関西と伊勢を結ぶ街道の一つで、緩やかな峠なので、伊勢本街道より往来が多かったようです。
初瀬街道の垣内宿(かいと)が左折してすぐ連なっています。今では一般の家屋ばかりですが、往時は300人分の宿泊が提供されていたそうです。青山峠を控えて、英気を養った人々で賑わったようです。古い木造家屋が数軒と昔ながらの屋号の提示と暖簾がかかっていました。宇津ノ谷峠を見るようです。
沿道には早や梅の花が咲き始めていました。梅は一輪でも絵になります。まもなく本格的な春になります。陽が長くなってきましたよね。
宿を抜けてしばらく細い道を行くと、公園のような施設があり、それを越えると道はさらに悪くなり、狭隘未舗装落石多数と言うCランク林道になり、橋の向こうにはとてつもない傾斜が見える所でついに車を捨てて徒歩に切り替えました。丁度展開スペースもあり、goodな所です。しかし途中には路肩欠損場所に多数落石で除石に10分位要した地点もありました。
4駆の軽トラなら、何とか登れるかもしれないと言う急傾斜の狭路でした。奥の方には、倒木も見えています。ペケVならあそこでギブアップでしょう。
気温は低いのですが、たちまち汗が出てきました。ずっと聞こえていた水音の音源が見えてきました。
それでも5分程でしょうか?急に平らな道に変わって、向こうに何やら見えてきました。ホーム跡に間違いありません。
まさしくホーム跡です。三枚目の奥に人影が見えるでしょうか?実は到着した時先客がいました。まだ20代かと思われる若者でした。彼は何と榊原温泉口から旧線のトンネルを何本も抜けて歩いてきたそうです。あの事故のあった、総谷トンネルも抜けてきたそうです。優男に見えましたが、中々のツワモノでした。
現東青山駅側のトンネルです。線路は撤去されており歩くのにさほど苦労は無いようでした。
売店の跡のようです。販売台やら空き缶などが残っていました。
ホームの土台部分です。殆どが木製です。既に腐りかけて、自然に帰ろうとしています。
ホームは途中で切れてまた復活していました。その先端部分です。今日は天気は良いものの、ここはまだ寒く雪が残っており、今朝は霜も降りてまだ残っていました。
ガーターが残っていました。奥に小さな滝も見えました。
これは西青山駅方面の青山トンネルです。約3㎞程あるそうです。末端は水没しているようです。このトンネル内で最初の故障が起こりました。ここからトンネル3本抜けて、120㎞/hまで加速されて事故になりました。
この後若者にも声を掛けて東青山変電所跡に向かいました。