御杖村探索Vol2 | outbackの旅日記

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日本中を気ままに旅する記録です。山の中の無人駅でビバークします。
タイトルが3代目になりました。レガシィ→ペケV→outback

菅野も神末と同じように中心部から南に下る1本の道があり、バスも走っています。
当然入り込みました。
国道から400m入ると中野バス停です。御杖村は起伏が少なく平地が櫛形に広がっています。その平野部分に家々が広がっており密集感が少ない集落の印象を受けます。長閑な感じです。
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国道から1.2㎞上郷バス停です。バスはここまでです。道はもう少し続いており奥まで行ってみます。
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1.6㎞入り込むと下級林道ダートになりました。こういう道はもう入り込まないようにしています。パンクしたくありません。引き返します。
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国道に戻り左折しました。桜峠と言う低い峠を越えると、菅野集落が終わり大字土屋原(どやはら)です。峠を越えると旧道が復活しました。入ってすぐの集落は、笹及集落です。大字土屋原小字笹及となります。笹及の読み方は分かりませんでした。
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土屋原の中心は堂前のようです。ここから南下する道もあります。その道沿いに案山子コンテストが行われていました。右から1位、2位と並んでいます。進撃の巨人案山子が1位のようです。壁越しに覗かれると嫌なものです。案山子としての役目を十分果たすでしょう。
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案山子に見送られながら南下します。700mで大野バス停です。左にはさがけ、右の田んぼも頭を垂れて、収穫直前です。バスはここまでですが、この奥県道としてかなり奥まであります。
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道沿いには彼岸花が咲いています。今が最も良い頃のようです。鮮やかに群生しています。
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道は順調に続き3.4㎞突如民家が現れました。母屋や離れもある大きな家です。全くの一軒家です。この家のための県道なのか?まだ道は奥まで続きます。
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100m行くと天理教御用林です。何本も丸太が並んでおり、活動中のようです。教会建築用材として使われるとの案内があります。左に逃げる道がありますのでそちらに進みます。
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700mさらに進むとまた天理教の門です。もうどこに行っても天理教の山になるようです。管財人名で関係者以外立ち入り禁止となっています。引き返すことにしました。
帰りがけに先程の大きな民家の表札を確認すると、やはりこの家が管財人でした。そういう仕組みなんですね。多分教会から結構な金が村に落ちるのでしょう。道路も上等でした。
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戻って来ました。伊勢街道を進みます。ここは中村集落です。集落は繋がっており境目ははっきりしません。
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また天理教です。かなり普及しているのでしょう。
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原峯集落です。旧国道の名残のおにぎりが残っていました。下は右手に美容室、酒屋と並び左手は民宿です。商店街と言っても良いでしょう。しかしどれも廃業していました。現住ではあるようですが、、
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集落が次々と現れます。水口集落です。赤い屋根が印象的でした。
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土屋原最後の集落畑井です。この集落で再び伊勢街道は終わり、再び国道と合流します。
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御杖村最後の大字桃俣です。青蓮寺川沿いに東西にはなく南方面に集落があります。ここ入り口は町屋と言うようです。
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人はほとんどいませんが、大きな家が続きます。町屋集落の中心部のようです。
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町屋の次は菖蒲集落です。先程の菅野大野集落の様な長閑な感じです。
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この菖蒲集落には、学校がありました。旧桃俣小学校です。1969年隣の土屋原小学校と統合しこの桃俣小学校は土屋原小学校の低学年用分校となりましたが、過疎が進み1986年に廃校になったとの説明碑が有りました。今は三季館として、宿泊施設として子供の自然学習研修館のような役割を果たしているようです。御杖村には2つの木造校舎が残っていました。
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三季館のグランドには、春日神社があります。桃又集落の鎮守のようです。ところでずっと気になっていたのですが、家の玄関口にこのような木槌が、架けられている家が数多くあります。2個3個架けてある家もあります。何かのまじないと思われましたが、いわれが判りませんでしたので、丁度洗濯物を干しておられた、春日神社の近くの家の方に聞いてみました。
この木槌は各集落内にある、神社の社の建て替え時の上棟式の際、村の子供たちがこの木槌で木を打つそうです。その後魔よけとして、次の上棟式まで20年間玄関前に架けられるそうです。基本的には子供のいる家のみだそうです。過疎化が進んで、子供も減っていますので、かなり古い木槌が架けられている家も多くあります。この家の木槌もかれこれ25年くらい前のものだそうです。これで25年ですから、50年60年物も結構有ると思われます。
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茶屋の辻バス停です。桃又集落最後のバス停です。道はここで分岐し右は自然公園方面、左は先でまた分岐して一方は山の上へ、もう一方は山越えで国道に繋がっています。まずは右方向分岐進みます。
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自然公園だけかと思いましたが集落がありました。井出集落と言うそうです。10軒ほどの集落ですが、ゆったりと畑が広がっており、豊かな感じです。
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自然公園ありました。茶屋の辻分岐から2.3㎞です。正確には西杉自然遊園と言うようです。300円の入園料を取っていたようです。しかし兵どもが夢のあと、現在は全くの無人で荒れるに任されています。まだ綺麗な方向撮りましたが、下草が延びてもう入り込めない部分もありました。自然回帰はあっという間です。調べましたが詳しい事は分からず、まだ営業中のようなサイトもありました。しかし朽ち具合は、もう数回冬を越している感があり、3年は経過していると思われます。
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茶の辻に戻って、今度は左折しました。左折してすぐ集落が広がっています。上出集落と言うようです。古風ながらゆったりと広い敷地にどっしりとした家が立ち並ぶ集落でした。
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さらに道は続き、奥山と言う集落になります。と言っても集落ではなく1軒屋がぽつぽつとあります。しかし開けた所にこのように大きな民家もありました。上の民家は大きくはありませんが、20代前後と思われる女性が住んでおられました。
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茶屋の辻分岐から都合2.5㎞。洗い越しです。横に飛び石が設置された親切設計の構造です。しかしこの奥は極端に道が悪くなり、丁度回転スペースがあったこの地点で引き返すことにしました。
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御杖村探索は終了しました。洗い越しの後国道に出て、100m廊下を見学した後、朝登って行った長尾集落方面から曽爾高原方面に分岐する道を選択しました。長尾峠越えと言うようです。

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