ぶどう峠を制覇し間もなく国道299号に合流と言う地点で、ある案内に出会いました。
逆光ですし車内から撮っているので、非常に見難いですが、右「御巣鷹の尾根」とあります。御巣鷹とはそうですあの1985年の日航機墜落の現場です。坂本九をはじめ、500人以上が、犠牲になったという御巣鷹山です。瞬時に行ってみようと右に曲がる事に決めました。
ところで、その時は気が付きませんでしたが、左の薪を積み上げられた、酒屋?何気に渋くてレトロです。今でも釜戸炊きなのでしょうか?
現地状況が全く不明なので、どこまでいけるのかも何もわからず、とにかく車で行けるところまでは行こうと進めました。途中までは東電ダムへの道で、大変きれいに整備されており、トンネルの連続で高規格な道路でした。ダムを過ぎると道は狭くなりましたが、この駐車場まで何事もなく到着しました。ここから距離800mで事故現場の御巣鷹山尾根に到着できるようです。
今回このような予定は全くなく足元はサンダル履きです。後800mとはいえ、標高差は180m(1359m→1439m)あります。丁度管理人の札を付けた、バンが到着したので、道の具合を聞いてみました。そうするとサンダルでも問題はないとの事、しかし傾斜は結構急だと言われました。
管理人から30分ぐらいだよと言われたので、意を決してサンダルで登り始めました。沢筋を登って行くのですが、岩にこびりついた苔が、非常に良い味を出している沢です。登り出して直ぐの木橋の上から膝肘三点支持の格好でスローシャッターを切りました。
言われたように傾斜はきついです。道の整備はしっかりしているので確かにサンダルでも危険な個所はありません。ただこの坂を延々と登るのは、足元に関係なく厳しかったですね。
そもそも私の記憶では、事故当時現場への取り付け道路がなく、救援隊到着が困難を極めたはずです。後年努力によって、こんな舐めた格好でも登れる事になっていることに申し訳ない気がしてきました。しかし遺族は高齢者もいる事ですし、毎年8月12日には慰霊に訪れる時のことを考えると、簡易なケーブルでもあってもよいかとも思います。よく見るみかん列車のような、、
六合目付近にはこのような、無料休憩所があります。トイレもあり、簡易宿泊所でもあるようです。足の悪い人や、車いすの人を上げるとなると利用する人もいるのでしょうか?中まで覗きませんでしたが、畳敷きだそうです。
太い樹木ががくんと減りだしたら、このような墓標が次々と現れだしました。現場はこの山麓一帯に散らばったので、多分遺体発見現場にこのような墓標を立てたものと推察されます。斜面に無数にこのような墓標がありました。
きっちり30分かかって、尾根に到着しました。800mで180mの高低差は、予想外の厳しさでした。へとへとです。広場になっており、その節にはここで式典が行われるものと思います。神妙に手を合わせてきました。
やはり大木と言うのがあまり見つかりません。広場からあちこち道のような、そうでないような、何もない山の山頂らしくないところが随所にあります。捜索跡なのでしょうか?
途中にこのような案内図がありました。左が先程の昇魂の碑があるところです。一帯に7Gとか5Fとか番号が振ってあります。墓標が至る所にあるところから、これは墓標の位置を示す住所のようなものだと思われます。これだけ機体が、散らばったという事なのでしょう。右下のスゲノ沢と言うところは赤くなっています。今から行くところです。
スゲノ沢です。これはすごい数の墓標です。右奥の沢筋奥までずっと墓標が続いています。この沢で多くの犠牲者が発見されたという事になると思われます。先程の昇魂の碑とは別にここにも祭壇が設けられてありました。
これがその祭壇です。線香が焚かれていました。訪れる人が絶えず焚いて行くのでしょう。私も1本焚いてきました。特に中央に飾ってある4人家族と思われる写真は、大阪行きの搭乗口がバックに写っています。つまりカメラは回収されて写真も現像できた、最後の生前の写真であろうことが推察されます。
これを潮に引き上げました。サンダル履きの軽い気持ちで登ってきたことを、軽く後悔しながら、しかしそれよりも当時の事が、改めて思い出され、実際の現場を見る事が出来た事は、それ以上の収穫であったと思われました。
改めて、犠牲者のご冥福をお祈りいたします。合掌