今日も溶けそうな一日でした。

暑いとがっつりしたモノが食べたくなる体質の私。

作りましたよ

二宮餃子


常に餃子の皮の袋に書かれている通りの分量で、フードプロセッサーを使って野菜を刻んで作ってきた約四半世紀

初めて材料の野菜の量は「適当」
人生でほぼ食べたことのない生しいたけを2個も入れて(狂ったようにみじん切りにしました)
生姜もたっぷり
しそは庭に自生しているものを10枚ほど雨の降るなか収穫して
お肉は100gくらいしか入れず(いつもお肉たっぷりです)
白菜ではなくキャベツ、それからニラ

奇跡的に買ってあったけど何に使ったのか全く記憶にないオイスターソースを3秒まわし入れてコネコネ

なるべく攻めた包み方をして動画の通りの時間焼きました

結果、うまい!
しそはもっとたくさん入れてもよかったかも

旦那もウマイと言ってました

やっぱりフードプロセッサーに頼ると野菜の良さがなくなる気がする
お嫁に来たときには既に結構な年数使われていたもので、私は餃子を作る時だけ使ってきました
多分この先は使わない気がするなぁ


料理は元々得意ではない私
息子が巣立って旦那と二人の生活になってからは前にも増して手抜き料理が増えていましたが、多忙を極めるにのちゃんがお料理色々しているのを知って反省

やれば出来るんだよな

と野菜を刻みながらホントに猛省しました



だからといって明日からしっかり料理するかどうかは別問題ですが(笑)


今度息子が帰省してくるときには二宮餃子を50個作って振る舞おうと思います

先日、母を乗せて車で移動している最中のことだった。

自分が経験した戦争の事を話し出した。


購読している新聞に戦争中の記憶を投稿する欄があってよく読んでいるとのこと。

母にも記憶は色々あるが、投稿するほどのドラマチックなことではないのだと言う。

どんな記憶なのか聞いてみた。


母は関東地方の山間部の街育ち。

市内には軍需工場などはなく、空襲警報が鳴ったとて実際に敵機の攻撃を受けたことはなかったそうだ

ところが終戦間近のある日、いつものように空襲警報が鳴り響き、親戚などと一緒に自宅の裏庭に掘られた防空壕に入ってほどなくして

ヒューヒューと音を立てて焼夷弾が降り注いで来た。

ヒューヒューと言う嫌な音と共に着弾する轟音と地響き、揺れに幼い母だけでなく豪の中にいた全員の全身の震えが止まらなかったと言う。


母の叔母は以前私に

「この子は歯がガチガチ言うほど震えて硬直していた」と話してくれたことがある。


幸い自宅や周辺が焼けるということはなかったそうだ。


小学校の宿題が、軍馬の飼い葉を集めるというもので、街中に住んでいた母は山を持っていた祖父の家まで出向き、祖父と一緒に山へ入って飼い葉を集めたそうだ。

翌日学校へ持っていくと、母の集めたそれよりも数倍もたくさんの飼い葉を持ってきた同級生がいて恥ずかしい気持ちと、軍人さんへの申し訳ない気持ちでいっぱいになったと言う。


終戦間近、大人も子供も皆で山に入り松ヤニを集めたことがあるそうだ。

軍の燃料に使うためのものだと言う。

子供たちは「お国のため」と一生懸命集めたが、大人たちは内心「こんなものを集めなくてはならないなんて」と敗戦が間近だったことを知っていたのではないかとも話した。



母の父、私の祖父は徴兵されて中国にいた。

街には働き盛りの男はおらず、いるのは年寄りと女子供だけ。

大雨が降って土嚢を積むなどの重労働も女性たちだけで行うのでうまくいかず家の中に浸水したりしたこともあったようだ。




母は昭和12年生まれ。

まだまだ頭はしっかりしているが、身体は年齢に抗えなくなっている。

聞けることは聞いておきたい。

そしてそれを息子に伝えていきたい。

私が話すのではなく、出来れば母から直接聞いて欲しいと思う。



小さい頃父方の祖母が関東大震災の話をしたことがある。彼女は東京のど真ん中に住んでいた。もっと聞いておけばよかったと思う。


私たちの親世代は戦争を経験した最後の世代。

つまり私たちは戦争体験を直接聞ける最後の世代なのだ。


そんなことを「平和の祭典」オリンピックを観ながら思った。









暑中お見舞い申し上げます🍧

にのちゃんじゃないけど、毎日溶けそうな暑さですね🫠



幼い頃、家の縁側で父も母も新聞を読んでいる姿は私の記憶に色濃く残っています

父はあぐらで、母は正座で

自営業でしたので父は午前中仕事前に読んでいたのだと思います

なので母が読んでいたのは昼過ぎでしょうね


子供の私は4コママンガを見るところから

そのうちテレビ欄、そして社会面や家庭欄などを見るようになり、中学生くらいからは学校で推奨していたこともあり一応毎日すべてのページに目を通すのが日課になっていました


その日の食べ物にも不自由することもある家だったのに一時は全国紙の他に地方紙と赤旗まで購読していました

知り合いに頼まれて断れなかったとかかしら?それとも父親がインテリだったからかしら?

事情はわかりませんが、各紙マンガが載っていましたので子供の私にとっても楽しみのひとつでした


実家では全国紙はずっとA紙のみでした


結婚して夫の両親と同居生活が始まると新聞が私の手元に来るのは大抵夜

舅は朝寝床の上でひととおり新聞に目を通し、朝食後夫婦で新聞を読むのですが、その読み方が独特で驚きました

舅が玉ねぎの皮を剥くように外側から一枚ずつ外しては広げて読み、読み終えるとそれを姑が受け取って読むというスタイル


2面、3面の見開きでひとつの紙面が成立しているのになぁと不思議に思いましたが効率よく二人が読むために編み出した技なのでしょう


ひととおり読み終わると、舅が一枚ずつきっちりと四つ折りにして舅の手元に置かれます

その後も暇な時間に広げては読み、読んではたたみの繰り返し

新聞用の回収袋に入れられるのは彼らが就寝する前でした


嫁に来た当時に

「次郎ちゃんも新聞読む?」

と聞かれたことはありませんでした



この家で読まれていたのは実家とは違うB紙

読んでみて驚きました

実家で読んでいた新聞と主張が全く違うのです


新聞なんて書いてあることにそんなに違いはないと思っていたので本当に驚きました

実家に帰った時にそのことを母に話すと

「当然でしょう」

まあ今となっては自分が無知だったのだと思うのですが、最初は驚いたものです


そのB紙、今年に入って契約更新を断りました

集金を長らく担当していたご近所さんが引退されたので、もういいかなと


新聞がなくてもそんなに不自由は感じませんでしたが、世の中の動きはやっぱり活字で読みたいと言ったら、夫が職場から一日遅れでC紙を持って帰ってきてくれるようになりました(廃棄するので持ち帰ってよいと許可を貰ってます)


そして今一日遅れで読んでいるこのC紙がとても面白いのです

広告は少なめ、女性週刊誌などの広告もゼロというのも素晴らしい(余計な情報は見ないに限る)


しかもタダ💴🆓


気の合う友達に出会ったような感覚で、毎日持ち帰ってくれるのを楽しみにしています

日曜版にはパズルなどもたくさん掲載されますし♪


新聞に書かれていることが100%正しいいとは限らないということはよくわかっていますからね


あくまでも「情報源」というよりも「読みもの」であるということを忘れないようにしないとです


実家に帰ったときにはA紙とC紙の読み比べをするのも忘れません

A紙もまぁまぁ面白いです




娘のところは新聞をとっていません

幼稚園や学校で古新聞持ってこいって言われたらこまるんじゃない?って話したら

コンビニで売ってるじゃんと笑われました


でもその時が来たら貰いに行くからよろしくね、とも(笑)


天ぷら揚げるときとか、タケノコやとうもろこしの皮剥くときとか、工作するときとか

ごみ袋にするとか、窓拭くときとかetc.

新聞紙って色々使えて便利ですよね

そういうときどうしているんだろうって時々思います

聞いてみたこともないですけどね