野良翻訳家・HanaBananaの Enjoy Life!

世の中には、様々な概念、常識、義務、価値観などなど、私達を守りながらも縛るものがたくさんあるけれど、力いっぱい自由に、楽しみ、お気楽に人生を楽しみましょうよ!

Enjoy Our Life As Much As We can!


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目まぐるしく過ぎていった三月四月。息子が高校卒業し、大学入学で、やれスーツだ自転車だ旅行だに始まり、お祝いの宴を設けてくださる友人達、同窓会@スチャダラパー野音ライブなどあり、で、お腹も脳もいっぱい!

生涯で一番のインスタ映えな時間を、息子のおこぼれで過ごしました。

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高校生から大学生へ転身!


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大学は古き良き建築。都下の人気の街にある大学で、街も大学も趣があり、素敵でした。

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祝いの宴が盛りだくさん!

家族以上に温かく見守ってくれる親友、息子を孫のように思って小さき頃から大切にしてくださっている母の友人ご夫婦、ビジネスの世界で大躍進する友人、アカデミックな世界で教鞭をとる友人含む我が大学の仲間にお祝いをされ、それぞれの方々が若い人に伝えようと、経験から培った言葉をいただいて、大人への道の一歩を実感したのではないでしょうか。


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ワンコのためのリゾート施設、レストランでもどこでもワンコを連れて行くことができ、ドッグランや体育館、プールまであるホテルにも行きました。ユーリカ大満足。


オリエンテーションキャンプで友達と出会い、クラブやサークル勧誘で先輩とご飯を食べ、授業が始まり、2時間近くある一コマ、最後のコマが終わるのが7時などのスタイルにヒーヒーしながらも、バイトの面接だ、と、大学生のライフスタイルを果敢にチャレンジ、目一杯楽しむ息子を見て、ようやく肩の荷が下りたことに気づいてきました。

もう一安心。あとは留学行くとかいってるので、その時の資金づくりをするくらいか。仕事は振り返る暇もなく順調、というか、進んでいて、腹がたつこともあるし、泣きが入る日もあるけれど、全て仕事を真剣に考えているからの怒りや泣きなので、順調なのでしょう。

弁膜症が発覚して、ボルダリングはとりあえずセーブしてみましたが、体を動かさないのは性に合わないので、タイチー=太極拳を始めてみました。定期的に適度に体を動かすことができたらと軽い気持ちで始めたら、ワンレッスン三時間、かなり本格的な会。でもやり始めたら楽しいし、理にかなった動きと世界観にハマってきています。来年は大会に出たり、検定を受けようと思っています。

そんな春を生存中。

お久しぶりです。
新しい職場でスタートして半年、アラフィフにして手にした職は、恐縮するほど立派な企業での期待されるポジションだったので、半年間髪振り乱して、没頭して、なんとか前進しています。

そして、このたび、息子18歳の三年間にわたる闘いが終わりました。

そう、大学受験。

今日はいつもに増して、親バカですよ?

私立は文系ナンバーワン含む、親としては「どこの学校でまどの学部でもいいじゃん!」と言いたいところばかり、受かりました。序盤戦に近い学部は1つだけ落としたけど、あとは全部合格。

しかしながら、第一志望は国立。
センター試験では9割超えた点を取れたので、わずかに安心していたのですが、そこはやはり、全国の若者が血と涙の結晶を注いで目指すところでもあるので、果たして??と思っていました。もうなーんの心配もいらん!な私立が受かっていても、中学卒業の時から、「ここに行きたい」と頑張ってきた第一志望の大学なので、発表見に行くのが、どれだけ怖かったか。

電車から降りると、肩を落とした親子、空元気で「ま、しゃーない!!」と笑ってる学生、大学へ続く道すがら、どーしても目に付きます。センター試験で通過できて、その大学を受験出来ること自体、私からしたらスーパー、だから大丈夫!と思うのですが、落ちる夢を何度も見て毎日ガクブルしていた息子のこわばった様子をみると、どーーーしても合格する図が頭に浮かばずに、落ちた時のフォローの言葉ばかり浮かびます。同じ道を帰る時、どんな気持ちで歩くのか、そんなことを考えながら、親子でこわばった顔してトボトボと。

そんなこんな校門に近づくと、人だかり。息子は「一人で見てくるから待ってて」と言うので、校門の脇に呆然と立っていました。しばらくしても帰ってこない。何度も自分の番号がないのを確認して、何度もがっくりしてるんじゃないか?どーしよう。あの掲示板まで行ってみようか、などとハラハラしていたら、白い顔した息子がやって来るのが見えました。あ、これダメだったわ、慰めて、切り替えなきゃ。私立のあの学部だって素晴らしいし、受かることはなかなかの奇跡だってことたくさん言おうと近寄っていったら、

「受かってた…」

「……っえっ??」

「受かった、受かった、受かってたー」

絶句!!!

私立の時はお互いネットで合否を確認して、合格通知が速達で届くのを仕事から帰宅して見て、「えーやったねー!」な感動だったのですが、やはり見に行くのは、感動が違うものでした。

合格したとわかると、その大学の学生たちがわーーーーっと群がって部活の勧誘やら何やらしてくれるんですね。もう感動を味わう暇もない!!で、そんな喧騒から這々の体で逃げ出して、ドトールコーヒーにピットインして、改めて、「信じられない!!」と。


それから息子と連絡するところへ連絡して、ランチの時間に差し掛かったので、「ご馳走食べよう!」と言ったら、二次試験の終わりの日に帰りに食べたラーメンが食べたいと言うので「ラーメンでいいの?」と向かいました。

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美味しいラーメンでした。

その後、一駅ぶん歩いたのですが、その道すがら、息子が「二次試験が終わった日、振るわなくて、もうダメだと思ってこの道を歩いて帰ったんだ。ちょうど日が暮れてきて、涙を隠すのに良くて、それもまた泣けてきて。まさかこんな気持ちで、この道を再び歩けるなんて。悔いがないっていうのは、すごいことだね!きっと社会に出たら、こんなにはっきりと悔いがない、なにかを終えた!って経験はないから、この感動を忘れないよ」と。

もう泣くこともなくなった青年が、夕暮れの中、トボトボと泣きながら歩く姿を想像して胸が痛くなりつつ、ゴムを目一杯引っ張って離したみたいな喜びも味わいつつ、もうなんだかわからない感じでニヤニヤ。

側から見たら、春で頭がイカレタ人たち。


息子は偉かったと思います。
経済的な理由から、難関校に向けた特別な予備校に通うこともなく、家庭教師もつけず、チェーン展開してるビデオ授業(今でしょ!のところは高くて行けず、一般的な予備校)の予備校で、あとは自分であらゆる参考書問題集をやり、志望校は世界史の試験に独特のカラーがあるという定説だったので、歴史学、社会学の本も何冊も読み、やらされる受験勉強ではなく、かなり独自に頑張り通してきました。

意志を持つ、目標を持つって大切ですよね。


そう。二次試験が終わった日、息子は「映画でも行くかな。遅くなるよ」と言ってたので、残業してわりとゆっくり帰宅したら、息子がもう帰宅していて。「映画見なかったんだ」と。で、急に気をつけして、私の前に立って、こう言ったんですよ。

十八年間、育ててくれてありがとうございます。特にこの三年間はイライラする感情を持ち込んだり、お金のことだけじゃなくたくさん苦労をかけたのに、全部受け止めてくれて、なお、励まし続けてくれたことは本当に感謝してます。離婚しててくれて、僕は僕でそれがベストだったなと思ってる。離婚しなかったらパパから学ぶことはあったとは思うけど、ママが我慢して成立する家庭なら、それは家庭じゃないし、何しろ今の僕はママがいたからこそです。これから僕はどんどん家を離れて行くけれど、その僕はママが作ってくれたからね。ありがとう。ママとタッグを組んで何かにチャレンジするのは、きっとこれが最後だと思うから、お礼を言わせてください」



と。



なんかもう、有難いなんてものではなかったです。

報われる、とか、認められる、とか、そんな言葉で締めくくれるほどの言葉ではなかったです。


その日はちょうど、偶然にも離婚して十五年目の日でした。あの日、小さい小さい息子を文字通り抱えて感じた体いっぱいの不安とやる気を抱く私に、十五年後、こんな日が来ることを知らせてやりたい。十五年の間、もちろん楽しいこともたくさんありましたが、数えきれないほど、ヤバイ!もうダメだ!何で私だけ?何で何で何で??と滂沱に飲み込まれそうになったこともありました。今でこそ、ちゃんとした企業でちゃんとしたポジションで経済的にも事足りていますが、つい昨年までそこそこ有名な企業で勤めてはいたものの、契約社員という枠から抜け出せず、やる気はあるのにもっと成長したいのに、不自由と不安を感じでいました。ちょうど契約が満了となり、次こそは!!と勇んで転職活動すると、声がかかるポジションは以前と違う格段にレベルアップしたものばかりで、この一筋の光を絶対にでかいものにする!!と決心して、少し開いたドアに体をねじ込み。


そして今。


ここ数年の我が身と我が家の変化はすごいです。


そこまでやってこれた理由は唯一、息子がいたから、それだけです。


息子にお礼を言われた日、やっとの思いで返したのは、「ママが頑張れたのは、ママが50にして伸び盛りなのは、ぜーーんぶあなたがいてくれたからよ」でした。


今、改めて思います。

息子もきっとたくさん勉強して、社会に飛び立って、誰かのお役に立てるように頑張り続けるでしょう。


その息子に恥じないよう、力尽きる日まで、私も進み続けます。


息子はもう大人への一歩を踏み出しました。私が手をしっかり握って導くことは、もうないでしょう。あの抱きしめて抱きしめて抱きしめた、私がいないと何もできなかった存在を思うと寂しいものですが、これは嬉しい寂しさ。そして、息子同様、私も悔いのないって気持ちがこんなにも気持ちいいものなんだと感じています。

さよなら、小さき存在。

はじめまして、大人の息子よ。

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いつの間にやら2017も残すところ数日。

いやーーー!速かった!新しい職場に行ってから毎日が毎分?くらいに速かったです。

ええ。生きてますし、急転直下にも落とされていません。

どころか、年明け、ある意味昇進とも言えるポジションに就任して、新しいグループを率いて新しいフェーズにまたトライします。

当然、実力だから?当たり前よ?などと威張るつもりもございません。ただラッキーが重なり、前社、前々社からの後押しや現在の上司や同僚のご協力あったからこそ。自分を褒めるとすれば、すべての出来事や可能性を諦めず、手放さずに丁寧に且つ握りしめて離さなかったことです。

始終、体は酷使してまいりましたが、理不尽な不条理な思いは皆無なので、多少体が辛くても、へっちゃら、無尽蔵にパワーや明日へのやる気にみなぎる毎日の繰り返し。

家の方は息子の受験目前で、年明けてすぐセンター試験、その後、私大の入試が控えてますが、息子もやれる努力は余すところなくやり尽くす毎日をコツコツコツコツと三年間も続けてきたので。

母も私が無職の時はどっと依存していましたが、ミラクルというか、私が残業残業でねるだけに帰宅する日々が続けば続くほど、みるみるしっかりしてきました。


全てが好転しています。

少し前ならば、好転しても好転を信じることなく、絶対に落とし穴ある!と縮こまることが常でしたが、今はもうやるだけ。縮こまる時間すら勿体無い。今日が人生最後の日なら、私は何がしていたい?やはりそれは仕事に追われてヒーヒーしていたい!間違いなくそう思えるので、本当に充実の毎日。その充実と、社会的地位が重なりつつあります。

無職の時にどうありたいか、山内華子としてどんな人生が送りたいか、考えていたんですね。もちろんたくさんありますよ。白装束着る前に白無垢着たいとかww 旅行行きたいとか、人並みにいろんな欲望、煩悩だらけ。でもたった1つに絞るなら、私の人生はどんな人生なら満足か?と自分に問うたところ、それはドラマティックな人生。

毎晩寝る前に

「神様、どうかどうかドラマティックな人生を。そのためならどんな努力も惜しみません」

と祈っていたんです。

かないました。

生きていて、こんなにも人生が様々な彩りや香りを放った一年はありませんでした!!


おい!!なドラマもありましたよ。
先々週インフルにかかって、大学病院の夜間救急行ったんですよ。

ワクチン打ってたからか、あまり酷くもならず、救急に駆け込んだ時は峠を越えていたのですが、聴診器を当てたドクターが「あれ?あれれ?」と首をかしげるわけです。


「僕、本日夜間救急の責任者なんですが、
 循環器内科のエコー担当医なんです。ちょっと心音が気になりますので、エコーさせてください」

と言われるがままにエコーしたら、なんと

通常は3枚で1組の心臓の弁が生まれつき2枚しかないことが判明。

しかもちょっとくたびれてる音がするとのこと。2枚しかない人は100人に2人くらいはいるのですが、若い時はほとんどが深刻な症状は出ず、ある程度年を経てから、最悪の場合、突然死するケースが少なからずあると。

びっくりしてしまいました。

他にも免疫力が弱ったのか、掌蹠膿疱症という治療法がない軽い病にもかかってるし、お腹はいつも具合悪いし。常になんらかの病気に見舞われてるので、え?だからちょっと弱いのか!と膝を打ちました。

で、今、検査中でして。来年早々、検査結果が出て、経過観察なのか手術か決まります。
残念なのが、どちらにせよ、今の状態では激しい運動は避けなければならないこと。一応ボルダリングは大丈夫じゃない?とは言われてますが、やったことない人はわからないけど、上達しようと思ったら結構心臓使う競技なので、自粛。

でも、総じて見れば、偶然にもことが起きる前に見つかったのはすごいラッキー。インフルで駆け込んだたーくさんドクターがいる大学病院で、循環器内科のエコーの先生を引き当てた、これもある意味、ドラマティックです。


こうやって、助けてくれる人に出会うことで、自分も人を助けていかなきゃ。命はそうやって使っていくものなんだなと、日々実感が増していきます。


人生捨てたものじゃ有りませんよ。

努力はきちんと大きな大きな花を咲かせます。


アラフィフだろうと、キャリアアップは実現できます。言わずもがな、多少の無理を強いる努力と引き換えに。

でも、たくさん泣いたし苦しんだし悔しい思いもしたし、もうダメだと数え切れないほど思ったけれど、こんな「今」が来るならば、そんな日々はまーーーーーったく無駄じゃなかった、むしろ必要だったんだなと思えます。
そして、これからまた責任が重くなるから予想もしない苦労に出くわすでしょうし、数え切れないほど悔しさを味わうかもしれませんが、今まで持ちこたえた力がは何よりも信じられますので、また立ち上がる自信も備わっています。

だから、さぁやってこい!2018!
へこたれず、来た波を乗りこなして、行けるところまで行ってやる!

そんな所感の2017年末。

良いお年をお迎え下さい。