2021年 12月 1日
『大地震が来る時は、安政の大地震の様に(連動に)なる。』とのお告げがあり、安政の大地震を調べてみました。
世にいう「安政の大地震」は、特に1855年(安政2年)に発生した安政江戸地震を指すことが多いが、この前年にあたる1854年(安政元年)に発生した南海トラフ巨大地震である安政東海地震[および、安政南海地震も含める場合もあり、さらに飛越地震、安政八戸沖地震、その他伊賀上野地震に始まる安政年間に発生した顕著な被害地震も含めて「安政の大地震」と総称される。
安政大地震、あるいは安政地震とも呼ばれるが、単に「安政地震」と言えば、南海トラフが震源と推定される宝永地震や昭和地震に対比して、安政東海地震と安政南海地震を総称して呼ぶ場合もある。
1854年の伊賀上野地震、安政東海地震、安政南海地震および豊予海峡地震は、安政の前の嘉永7年に発生した地震であり、当時の文書、日記、瓦版などは「嘉永七年甲寅・・」と記され、地震後の嘉永7年11月27日(1855年1月15日)に安政に改元されたため、本来「嘉永の大地震」と呼ぶべきであるが、明治改元の際、詔勅で「慶応4年(1868年)を明治元年と改元する」とされ、慶応4年1月1日に遡り明治元年と改元された例に倣い、「嘉永7年1月1日に遡って安政元年に改元された」と解釈され、「安政の大地震」でよいとされる。。