ハニトラの秋はブルマの秋!
残念ながら今年は10月にハニトラ公演がなく、毎年恒例の運動会が開催されなさそうで、ハニトラメンバーの麗しきブルマ姿を拝めなさそうなのでそのリビドーを記事更新の方にぶつけさせてもらいました。それではしばしお付き合いください。
名前の由来
ブルマの名前の由来はブルマー夫人こと女性解放運動家のアメリア=ジェンクス=ブルーマー。19世紀の半ばごろに、「女性も気兼ねなく運動できる服を」という目的で、後にブルマと呼ばれることになる服装の原型である「膝下まで丈があるズボンとショートドレスの組み合わせ」を雑誌『リリー』で紹介し、かなり話題になったことからその服装に彼女の名前で呼ばれるようになりました。その後、ブルマは女性用体操服(の下半身部分)の代名詞となり、後述の歴史を経て我々の良く知るブルマになりました。
前史
1950アメリカのエリザベス=スミス=ミラーがコルセットなどを用いない動きやすい服装として「膝下まで丈があるズボンとショートドレスの組み合わせ」を提唱し、それを上述の通りブルマー夫人が紹介し一躍人気になったのが原型です。
一方でイギリスでは女性の社会進出に伴い、女性用乗馬服の発展が著しいものがあり、一種のブームを起こしていました。その影響を受けたか、ブルマもスカート部分がなくなり丈もブーツの上まで短くなった模様です。ここまで来るとようやくちょうちんブルマのご先祖様って言われれば納得できるくらいの感じになりますね。
日本での歴史
日本にそのブルマを紹介したのは 「日本女子体育の母」 こと井口阿くり。『ハイカラさんが通る』みたいな袴にブーツ姿だった女子体操着に変わるものとして導入普及を図った模様。
そんな今とは似ても似つかない「ブルマ」が今の姿になるのは東京オリンピック1964。少しでも動きやすい形にと進化を続けたブルマーの丈はどんどん短くなり、日本女子バレーチームは提灯ブルマーと通称される姿で快進撃を続けました。そして、そのライバルのソ連チームが履いていたのが我々の良く知る密着型ブルマー。
これにより一躍人気となったブルマ。ちょうど戦後一時GHQなどの指導により中止されていた学校体育の授業が復活していくタイミングと重なり、一気に体操着として普及します。その時体育衣料指定メーカーになった尾崎商事(現:菅公学生服) が採用したのが、提灯ブルマーではなく密着型ブルマーだったので、我々の良く知る体操着としてのブルマが定着しました。
迫害と衰退
で、70年代には定着したブルマ。しばらくの間はなんの問題もなかったのですが80年代後半になると風向きが多少怪しくなります。80年代前半に起きたロリコンブームにより、小中高生っていう「小便くさい小娘」が性の対象になりうるってのが知れ渡り、露出度の多いデザインのブルマは当の女の子たちから拒否反応を引き出しました。とどめを刺したのは90年代のブルセラブーム。セーラー服と一緒にブルマも思いっきり商品として扱われたこともあり、世の趨勢は一気にブルマ撲滅の方向に。現在では体操着として採用される事例はほとんどなく、風俗やAVやバラエティーのお色気コスチュームとしての地位を確立するのでした。しかし、フェミニズムの象徴として登場したブルマが最後は女性のお色気の象徴になるとはなんとも皮肉な結末ですね。
その魅力
私にはその熱意も造詣も乏しいので有識者のコメントを待たせていただく形にしてください。とは言え、流石にそれだけでは興醒めですので、個人的な癖を披歴しますと、「汗で湿ったブルマに校庭の白砂がうっすらとついて汚れた状態」がたまらなく大好きです。