極東ホテル | そういえば、昔は文学少女でした。

そういえば、昔は文学少女でした。

クリスマスと誕生日に一冊ずつねだった、「世界少女名作全集」。図書室の本を全部借りよう、と思ってた中学時代。なのに今では読書時間は減る一方。ブログに書けば、もっと読むかも、私。という気持ちで始めます。洋書から雑誌まで、硬軟とりまぜ読書日記。

極東ホテル/鷲尾 和彦
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私の周りには結構本を出す方々が多くいらして、出版のつど、贈っていただいたり、買ったりして読んできました。中身はビジネス書だったりエッセイだったり、時には小説だったりもしますが、この人のこの場合は写真集!


もとの会社の同僚で、今も時々顔を合わせるのですが、「出たら買うからね」と言ったまましばし会えず、今日久しぶりにお会いして、サイン入りでゲットしました~。


私は写真のことは何もわかりませんが、イベントだったりプレゼン資料だったりの写真を彼が担当するのを目にするたび、なんかすごいなあ、と思ったことはよく覚えています。何がどう違うのかわかんないけど、「違う」のです。


写真家とか、映画監督とか、指揮者とか・・・昔は「誰が撮ったのか、振ったのか」ということでそんなに違いが出る、ということが理解できなかった。被写体や俳優や、演奏者にばかり目が行ってしまって、「どう撮るのか、振るのか」に思いが及ぶことはなかったのだと思います。それが、年齢とともに、少しずつ、「違うのだ」ということだけは、わかるようになってきた気がする。そうすると、大人になるのも悪いことじゃないよな、と思えます。


この鷲尾君の写真集にも、「なんかある。他とは違う」という感じがすごくする。


東京は山谷方面のとあるホテルに滞在する、外国人旅行客のポートレートを集めたものなのですが、日付と、名前と、どこから来たか、しか書かれていない、ともすると名前や国籍もわからない旅人たちの表情が、自分の中の何かを揺さぶるというか、呼び覚ます感覚があります。

にっこり笑ってカメラ目線で収まっている人など誰もいなくて、どこか不機嫌だったり不安だったり無表情だったりする若者たち。いや、若い子だけじゃないんだよねえ。結構年輪を刻んだおじさんやおばさんが、ページの間に不意に現れたりして、それがまた動揺を誘うんだね。なんだろう。


2年くらい前だったか、何人かでお昼ご飯を食べてたときに、彼が山谷に通っては、いろんな国の旅人と知り合って写真を撮ってるんだ、という話をしているのを聞いたことがありますが、正直、言葉ではよくわからなかったのが、こうして出来上がった作品を前にすると、「そうだったのか!」と思ったりして。

言語を介さないコミュニケーションの力、というのを実感しました。


鷲尾君。写真一本で食べていきなよ!

・・・と、無責任なことも言いたくなるのでありました。