あと2ヶ月ちょっとで、原爆が広島に投下されてから61年目を迎える。今年も毎年のように平和記念式典が催され、川には灯籠が流され、首相の式典参加が新聞で報道され、小学校では平和学習の名の下に、原爆アニメが流される。いつもとかわらぬ「原爆の日」である。広島で何年も小学校に火曜と、原爆は周知のものになる、しかし、平和教育はいつも同じ、言葉は悪いが、飽きる。あたりまえである。受動的な教育の一貫としての、平凡な知識の詰め込み。マンネリ化した原爆の日が、今年も訪れる。

広島から出ると、61年前の8月6日、広島で何が起こったかを知らない人が多い事に驚かされる。広島では知っているのが「あたりまえ」だった事が、広島の中だけの事だった事に気付かされた。
去年、甲子園の開会式において、その日が8月6日だったこともあり、広島の高陽東高校が黙祷を行いたいと主催側にかけあい、断られた。
理由は、戦争が広島だけのことではないこと、黙祷は終戦記念日に行っている事。だそうだ。
確かに、戦争は広島だけのことではない。あたりまえ、でも、戦争の一部分から戦争を見なくて、戦争の何が見えるのだろうか?全体を眺めて、死者何人、負傷者何人、損失何円、ああかわいそう、ああひさん。これが戦争を見る事なのだろうか?

よく、アメリカ人が「原爆投下は正しかった」といって、原爆の問題提起を嫌う。アメリカで原爆展を行おうとしても、こういう考えを持った人や、「日本は戦争加害者だから日本は被害事実を世界に訴える権利は無い」として原爆展開催を妨害する在米中国系の人たちがいる。
戦争に正しいもクソもあるんだろうか?
戦争に加害被害の区別つけて、どうするんだろうか?

広島の原爆、その実情を世界に知ってもらおうと努力している人たちは、世界に「広島が被害者である」そんなちんけなことを知ってもらおうと努力しているわけではない。核の存在の脅威、その脅威から解放、そういった次元を目指しているのに、次元違いの人たちに妨害されている。

こういうとき、マイケル・ムーアにでも何発かかましてほしいなーっと思う。
今日は、終日頭から”pom2”(地雷除去活動を行っている団体)という言葉がはなれませんでした。今朝、バイト先に入ってきた新人(同じ大学の後輩)がその団体に入ったっというのがそもそもの発端だったのですが、いろいろと考えさせられました。
pom2の活動は、300円のステッカーを買う事によって、そのお金が1㎡の地雷除去費用に当てられる、という簡単な仕組みです。ステッカーを貼ることによって、自らの協力を示す。単純ですが効率的かつ効果的な活動です。寄付が現地に流れるという点において明白な差がありますが、寄付者の心理としてはホワイトバンド活動と似た物があります。

ホワイトバンドの活動が、ああいう残念な結果に終わってしまった今日、意思表示としての物品を対価に寄付を求めるという活動そのものに抵抗を持つ様になってしまいました。ホワイトバンドの活動が善意によるものだったのかは当事者以外誰にも分かりません、ホワイトバンド活動の仕組みをろくに調べずに、世間の風潮に乗せられて気軽に買った方が、愚かだったのかもしれません。
未だに生協の片隅にぽつんと置いてある、だれも見向きもしなくなったホワイトバンドの箱を見ると、とても複雑な気持ちになります。

pom2の活動をもっと知りたいと思った一日でした。でも、軽卒な気持ちによる寄付はしたくないし、する意味は全くないと思います。まずは、pom2について知らなければならないなと、思いました。