Sassy's room …Hands-on 

Sassy's room …Hands-on 

-実際に手で触れて理解し、感じてみないと納得できない人&それを仕事とする人-

Amebaでブログを始めよう!
最近、休みの日のランチかブランチはよくお出かけしてます。

今日はココ。

photo:01



若干、予算設定が甘かった囧rz
と、思いつつ、老舗ですし、楽しもうと、贅沢セット注文(•̀ᴗ•́)و ̑̑

〆はココでしか食べられないらしいコチラ


photo:02



檸檬のケーキ




美味しゅうございました。

けれど、
めったに書かないAmebaを私が開いてるということは…

そう、残念な事がありました。


長らくやってるお店だし、
結構良い土地にあるとこだし、

もとの母体だって、そこそこエーとこ。


いえいえ、
通常こなすべき接客は丁寧ですよ。

見えてくるのは、
ホンのちょっとしたイレギュラーな依頼や事柄が起きた時。


1つ目は、
サラダ(前菜?)からのメインが出てくるまで。
遅い。いや、ランチで混み出して出せてないことに気づくのが遅かったんでしょう。
別に、そこじゃない。

日本人ってそこに欲するのは、
「お待たせしています」か「お待たせいたしました」
そんな一言の付け加えなんだよなぁ…

お皿を下げた方も、
メインを運んできた方も、
そんな付け加えがなかった。
ちょっと(ꐦ ꂧ᷆ 皿ꂧ᷇)ハ?

2つ目。
横並びの長テーブルだったので、お隣にも別のお客様がいたわけで。

私の右隣りにいた方が、
お店の方に「爪楊枝いただけますか?」の依頼。
すると、「はい(了解いたしました)」と言って、
元々私の左側に設置していた楊枝を、
何の一言もなく取り去って、
「どうぞ」って差し出しちゃった。

いやさ、あたしゃ確かに楊枝なんて使いませんわ。構いませんよ。

でもねでもね、
いくらそれはお店のものでも、
別の客のそばにあるなら、その方にお使いくださいって設置ではないのかしらね?

お皿下げる時は、一言添えるでしょ?
一緒やん、
「こちら失礼しますね」とかさ、
一言添えがあるだけで、なーんの怒りもないわけ。


残念です。
せっかくの料理も、やっぱりそういった振る舞いまで含めて“お店”なんだよな…

考えが発展しちゃって、
そこのリーダー(指導者)の指導不足なんだろうなーと思いました。

こんな経験から自分のところを省みる。
私だけが、この思いじゃ何もならん。
チームに浸透してなきゃ、今日のこのお店とおんなじ。


すんません、
口うるさい客でした。
職場の子が今年度をもってここを辞めるって気持ちを固めてきた。

転職を考える人たち。
1つは、その人がポジティブで、自身をよく研鑽してて、今の職場の力量を超えられそうな所まで頑張ってきた時。
そういったハッキリした目標があって、自分をもっと高めたいと願い、出て行こうとする子は、私は快くサッサと出てけ!そして成長しなって旅立たせてあげられる。
それだけ成長した子だと、ホントはうちの職場の戦力だし、いてくれた方がそりゃ助かる。
でも、もうその子にとっては、この職場では頭打ち。どこかで手持ち無沙汰。その思いが心の中で宿り始めた限り、もうココに留めておいたって、その子の人生を潰してしまうだけ。

また1つ。
辞めたいと願う人間。
ココじゃつまらない、何かもっと楽しいことをしたい。
せっかくの仕事なら、やり甲斐ある事したい。
かと言って、今の仕事で自身の未熟な部分を認めたか?何か学んだか?研鑽したか?勉強したか?
何となくこなしていれば、何となく仕事としてまとまる。
変化がない。楽しさが見つからない。
ちゃんと仕事してるのに、給与も納得いくところじゃない。
「辞めます。もっとキラキラ感じる所に就職します。」

…このパターンもかなり多い。
立場上、中途採用の面接もして、採用の采配を決めなければならないのですが、
この後者のパターンで入職希望してくる子もまぁ多い。。。ホント、結構多い。
後は、やはりそうやって研鑽できずにウチを去って行く子。

結局、止めはしないんですけどね。
「成長を望まないで働いてても、なんとかなる。」
そんないたらない空気が後輩やここのチームに澱むのは嫌だから。
去る者は追わない主義。
あ、いや、1-2年目のまだまだ成長の足らない、我々教育不足が原因のものは別。
それは私の責任。あ、辞めさせる子も結局私の責任だけど。

私らの仕事はある意味、技術屋。
いつまでも勉強と研鑽をし続けなければ、結局楽しさも見つからないもの。
いや、
世の中の「仕事」となるものは全てがそうだと思う。

…思うところは、
仕事に対するキラキラした思い、感覚、感情って、何かしら研鑽する努力があってやっと見つかるもの。
「転職すること」で見つかるものじゃないって事。


伝え続けたつもりなんですけどね…
ココで働いてる間にちょくちょく。
何度も泣かしたし、周りがそれで成長する姿もあったはずなんですが…
次に就く先は全く検討してないそうです。。。加えて今の職業を続けるかもわからないと。。。


どうしても伝わらない人間もいる。
それも事実。

生命に関しての話。

あー重いなぁ(◞‸◟;) 。
と、思いながら、最近の世の中の話題と、今日とある会合に出て、やっぱりどこかで排出しておこうと感じ…


なぜに殺人や戦争は起こるんだろうか…
なぜに人間は、日本人は…かな?、
ニュースで、どこぞで戦争が起きた、どこで殺人事件が起きた、と、
やってはならぬ事、悲しい事、起こすべきではない事と伝えているのに、

片や、
時代劇でも、マンガでも、ハリウッド映画でも、
悪人を成敗してぞんぜよう~とか、主人公が、“悪役”を殺害する事を良しとしている。

人間は、なぜこの二極を持つのだろう。

命を授かった事で、これは人間のみならず、動物すべて、
“自分”が生きて行くために必要な性なんじゃないかって、
思ってしまうのである。
(いや、決して私は殺しあう事を認めるわけじゃないけど)

悲しいけれど、いつまでもいつまでも、どんなに縮小しても、
この二極の視点も無くならないわけだから、戦争や殺人は、ずっと起こり続けてしまう。

きっと、人間は殺人を無くせない。


そして、今日の会合では、
自分や、家族のこれからいつか向かえねばならない死について。…のシンポジウム。

医療が発展し、我々は長く生きられるようになった。
素晴らしい事。

でも、

自分は、家族の顔がわからないほど呆けてしまっても生きていたいと思うだろうか?
自分で食べれなくなっても、点滴や人工的栄養で生かされていたいと思うだろうか?
もし、自分の家族が、点滴だけで生かされていて、しゃべってくれない、意識はハッキリしない。それでも、その家族の介護を何年も何年も行う事を幸せと感じる事ができるだろうか?

かと言って、自殺や尊厳死が、許されてもいいのか?

1人一人、価値観が違う。

だから殺人が起こる。

死をむかえるタイミングをどこが良いのか。その思いも違う。

各々、あと自分の家族、親戚、関わり合う方々などと、
ホントは話に出して見なければならない事なんじゃないのかな…

東京暮しを始めたマンションを、無事に解約いたしました。

住み始めて間もなく、ココは足馴らしの場所だなって思いで長く住むつもりなかったけど、

いやいや、いざ伽藍堂となった部屋を改めて見ると、
何となくジーン |ω・`)

いやはや、お世話になりました。

さ、また新しい出逢いを
(=´∀`)人(´∀`=)




iPhoneからの投稿
アナザースカイ。マリエが出てた。

いやいや、これまで決して好きの部類に入る芸能人じゃなかった。

TVに踊らされてるかもしれんけど、

でも、良いわ。めっちゃ好きになった。
そして、考えさせられた。
自分はこれから、どういう生き方をしよう…

やりたい事、我慢してる事。悔しさを感じてること、
やらなきゃいけないのに、ダラダラしてできてない事。

ちゃんとやろう。

気分の良い番組だった。