みなさまみなさま

本日もお読みいただきありがとうございます

心身調律師pinoと申します。






↓本日のお題はこちら↓


自転車に乗れたのは〇歳

 

 

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最近は電動キックボードみたいのとか

原付と自転車の合いの子みたいのを

よく見かけます


あれって

自転車に乗れなくても

乗れるものなんですかねい






ぼくは幼稚園の年長の時

いとこのお下がりの自転車をもらって


毎日親父に付き添ってもらい

乗れるようになりました


補助輪をはずして

抑えてるからな!の言葉を信じて


途中で手を離されてるのもしらず

風をきって走った


今でもその瞬間も

場所も季節も空気感も

鮮明に覚えてます


不思議なもんですね




そうやって育ててもらったけど

親父とは思春期からずっと

相容れないまま

逝ってしまいました


亡くなった当初は

後悔もありましたが


今となっては

感謝しかない


不器用ながら

ちゃんと可愛がってくれてたのが

わかるんですよねい


だからなのか

思い出すことは

ほっこりするエピソードばかり


あんなに毛嫌いしてたのに

人間の記憶なんて

都合のいいものなんですねい




自転車とは関係ないですが

よく思い出すことがあるので

書いておこうと思います



題して

「思い出のたこ焼き」






…あれは忘れもしない、幼稚園の年中の時やった。


お昼は毎日業者が配給するお弁当を食べてたんやけど、その日のおかずにたこ焼きが入っとってね。みんな、うわーたこ焼きやーって大騒ぎやった。


でも、僕に配られたお弁当には、なぜかたこ焼きが入ってなかった。僕は先生に、自分のお弁当には入ってないと訴えた。時の大人は、ウソついたらあかんで?もう食べたんやろ?と言い放った。


先生のをくれるんやなかろうか、と幼心に甘い考えを抱いたが、その時からやんちゃ坊主で厄介もんやった僕の主張は、心無い大人の先入観によって打ち砕かれた。あふれる涙で世界がぼやけた時も、周りの友達は楽しそうに、美味しそうにたこ焼きを食べていた。


この大人には散々嫌われた。悪さしてキヨシと二人で外に放り出されて、トイレ我慢出来なくて、園庭の隅っこで済ませたら、また怒られたりした。


たこ焼きの日は、帰ってから泣いた。僕のお弁当にだけ、たこ焼きが入っていなかったこと。そして先生は信じてくれなかったこと。でも、両親は僕を信じてくれた。


親父はわざわざ駅前の露店に出向き、たこ焼きを大量に買って来た。家のテーブルにどさっと置かれた大きなたこ焼きの形状が、今も記憶の断片に残る。湿気を吸ってぐちゃぐちゃしてて、あんまり美味しくなかったことも、目の前で微笑んでいた、親父の顔もね。


今となっては、たこ焼きというのは本当に美味しい食べ物やけど、僕にとってはちょっとだけ切ない思い出の食べ物。親父のたこ焼きを、今も時々思い出す。たこ焼きが繋ぐ、永遠の親子の絆。僕はここにいるよ。天国のあんたは、今ごろ微笑んでるやろか。








⭐︎手の力を侮るな⭐︎


もうすぐ命日だな。

もう少し早く、自分の手の力に気づいていたら。