2021年6月11日。
何ごともなく、平和に過ぎてよかった。
いつも通りの1日でよかった。
そんなことを思って目が覚めた。
1999年7月、ノストラダムスの大予言の時ほどではないけれど
この予言を知ってから、なんとなくモヤっとしたものが心の片隅にあった。
それは、ブログでも紹介したことがあった
2年前のある講演会でのこと。
ここで地球村の高木善之さんが
『2021年◎月11日が地球滅亡の日。』
(地球滅亡の日といったか、別の表現だったかは忘れちゃったけど、とにかく世界のほとんどが崩壊する未来図を臨死体験の時に見たということだった。この話は有名である。)
◎月というので、具体的な月は伏せられていたが、ネットで検索したら、あっさり6月というのが出てきた。
6月11日は、私の来能登記念日である。
今年で14年だ。
インパクトのある日に重なったがゆえ
忘れることができなくなってしまった。
ノストラダムスの大予言の時もだが
こういう話に影響されやすいのだ。
「いらんことを聞いてしまった。
聞かなきゃよかったわ!
もう、個人で回避する方法ないやん」って
半ばイラついて講演会から帰った気がする。
あと2年しかないのかなぁ。
どうしよう。と。
その後、ケルマデックさんや他の方の話を通して、多くの人が予言を聞くことで運命が変わるというのか、回避できるという話も聞いたので、このことは気になりながらも、ノストラダムスほどのダメージは受けなかった。
きっと私が怖かったのは、ノストラダムスというより、五島勉さん
いや、
この表紙の顔かも!
これこれ、この表紙の本を熟読したわ。怖すぎる!
まぁ、世界中の人を巻き込んだノストラダムスだって外れたしね。
ノストラダムスの予言の日の私について書いた記事はこちら
でも、コロナが出てきたり、おかしな世界に突入したのはたしか。
地球規模の大きな変化がいつ起きてもおかしくない。
寿命なんてわからないから
多分90まで生きるだろう、まだ半分くらいだ
とか勝手なことを思って呑気に生きているのが私たち。
それが、当たるかなんてわからないのに
「地球滅亡まであと2年切りましたー」
とか言われると、大慌て。
とはいえ、ほとんど忘れていたのだが
6月に入ってから急に「11日大丈夫かしら」
って心配になってしまった。
あと10日の命。
悔いのないように!
と突然思ったところで
何にも思いつかないものである。
前は、友達とこういう話もしたけれど
この話をしたところで喜ぶ人なんているだろうか?
講演会で聞いた時のように
『聞きたくなかったわよ』ってイラつく人もいるだろう。
私は、貝のように口を閉じた。
先日、お客様が、
「丁寧に生活しているのが伝わりますね~」
と言葉を残して帰っていった。
部屋が整っていることと
庭の花が元気に咲いていること。
その花が飾られていること。
そんなところからだろうか。
朝、夕、花壇に水をやり
夕ご飯どうしよーと考え
朝早起きしたら散歩する。
きっと、今日が地球最期の日でも
同じことをするんじゃないかな。
明日がもうないとわかっていても
花壇の土が乾いていたら水をあげる。
最期だから外食だ!
でもいいけど、最期だからこそ作るのかもしれない。
子供が脱いだ制服は
もう二度と着ることがないとしても
洗濯籠に入れるだろう。
今のために、今日のために
花を摘んで、飾るんじゃないのかしら。
そして、きれいだなぁ、って喜ぶだろう。
予言が外れたのか
もしかしたら別の月の11日なのか
よくわからないけれど
とりあえず、6月11日が過ぎた今日も
地球は元気で、私もあなたも生きている。
滅亡予言を聞いて
突然、100メートルダッシュする勢いで生きてもいいけど
ペースを変えず、いつも通り
ゆったりと生きるのもいいものだ。
地球が滅亡するのが早いか
自分の寿命が早いか全くわからないけれど
できることは
今日を、今を丁寧に生きること。
目一杯楽しむこと、味わうこと。
それしかない。
そこにしかたどり着けない。
そんな気がする。
wai