昭和40年に生まれた私の通う幼稚園は「お寺」だった。当時は、指して珍しい事では無かったと思うが‥‥。「手には念珠」紐の色でクラス分けをしていた。後(のち)に私が幼稚園に行くのをぐずった事があると聞いた事があった‥‥。年中(ねんちゅう)になった頃の担任の先生に‥。私には「幼稚園」云々、関係無く給食の無かった幼稚園では「お弁当」が当たり前だった。此れが兎に角‥‥嫌だったのだ。私にも息子が2人出来て「幼稚園」というものが無かったから所謂(いわゆる)保育園というものに行かせたが‥‥。でも、有難いと思ったのは「給食」の存在だ。‥‥まあ、小学生になり中学生になり其れも無くなったのだが‥‥。私の母は、可愛く盛るだとか、バランやアルミホイルを使うという概念が皆無だった。今は残して置けば?と思う白雪姫のあしらわれたアルミのお弁当箱を5、6人のグループで机を付き合わせて頂くのだが‥‥此れがもう‥‥地獄のような時間だった。可愛い幼稚園児が皆(みんな)して「私のタコさんウインナー入ってる!」とか「私のウサギさんのリンゴが入ってる!」とまぁ姦(かしま)しいったらありゃしない。少し‥‥友達のお弁当を覗くとサンドイッチにトマトと‥‥。「うわ~可愛いなぁ~!」なんて調子の良い事を言いながら蓋を放さず「バクバク!」と平らげる。「何故か?」そんな事は至極簡単明快!!私の母のお弁当は開けて見なくても分かる「高野豆腐の煮物」だけで白いご飯に梅干し1個と全くもって‥‥毎日同じメニューなのだ。「恥ずかしかった!」友達に見られるのが‥。ふと、気付いた友達が「もう食べたん?」「うん!好きなもんばっかりやったから!」なんて分かりやすい嘘をつく。此れは長編で詳しく書いているのだが、当時もバランやアルミのカップ等はスーパーに行けば売ってはいたが‥‥当時の我々にそんな大それた事を言う勇気など無かった。味は美味しいのです。作って貰えるだけ有難いと思え!って話なのですが‥‥。小学生になり、給食と謂う有難い物のお陰で‥‥少し忘れかけていたが「遠足」なるものがある訳です‥。お年玉を貯めたお金でバランやアルミのカップを買い、私は自分自身でお弁当を作るようになった。勿論、後に上がってくる妹や弟の分も‥‥。其れらを、母親が起きてくる前に作り上げ、持たせた。妹と弟には因果を含めて(笑)「感想は要らん!中味は綺麗に食べて痕跡を残すな!」とね。父親がたまたま家に居る日で助かったが‥‥「お前作ったんかい?偉いな~」って。其の後、我々に待っている仕打ち等知るよしもなく‥‥。私は幼稚園の年長さんにして母の身長を超えていた。其れからは、買い物に洗濯に掃除と‥‥花嫁修業はバッチリになっていった。(苦笑)好き好んでやってはいなかったが母親にしてみれば「泣かぬなら泣く迄待とう‥」では無く「出来るなら出来るだけやらそう‥」だったに違い無い!とんだ「やぶ蛇をつついた」訳だ。今やキャラ弁や何やと巷には聞くが‥‥我が家には到底訪れる事の無い世界観だ!私はお陰様で料理には自信がある。雑誌で読んだり人に教えてもらう事無く、否応なしに上手くもなる。我が家に「給食」なるものが訪れたのは次男が中学3年生になった途中からだった。いやいや‥‥勘弁してよ!私が一体いつからお弁当を作るようになったと思っているのか?‥‥って知る訳無いよね?(笑)今も主人のお弁当は作ってますけど‥‥ね。後に‥‥私が入院したりすると我が家の息子達が口を揃えて言う。「早よ帰って来てよ!毎日、ミートボールと赤ウインナーと卵焼きばっかりなんやって‥‥」「あの、何も出来ないパパが折角作ってくれるんやから‥文句言うたらあかんで!学校横にあったパン屋さんでも良いです!って言われても息子2人の為に頑張ってくれてるんやから‥‥。」と話した事があったが‥‥。「パンの方がええなぁ‥」って(笑)「よしっ!勝った!」(爆笑)※‥‥‥※‥‥‥※‥‥‥※‥‥‥※恭(やよい)の実話エッセイでした。ご拝読、感謝申し上げます。