前回の記事の
コメントが遅れました。

悩んでいました。

以下、すごい長文。

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いままで わたしは、バイセクシャルを受け入れないひとに 出会ったことがなかった。

こんなことを書けば、類友だと思われるかもしれない。そう思うと、わたしと関わった すべての女の子に 恥ずかしい思いをさせた気分になった。

恋愛感情がある場合も、
ない場合も あった。

わたしが好きになった女の子は 
ふたりだから。
そのほかの女の子にそれ以上の感情はない。

ただ。男性が「あの子かわいい」と思うような感情は わたしには あると思う。


さて。


わたしが恋愛感情を向けても、なんとも思わなかった ふたりの女の子。

恋愛感情なしで、わたしを受け入れて ふつうに 会話してきた女の子たち。

彼女らも、「気持ち悪い」の部類に はいるのだろうか。

わたしと関わると そう思われてしまうのだろうか。


前回のバイセクシャルの記事のコメントを読んで、

安心した反面で、

コメント欄を設けなければ よかった。この方たちも、わたしと同類と思われるのだろうか、と不安になった。

まわりに意見を求めたところで、わたしのまわりには、バイセクシャルを気持ち悪いと思うひとはいないから、あまり意味がない。

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ところで。


わたしを気持ち悪いと思った方の記事の中で 興味深かったのは、

「寂しがりだから、幻覚症状や 同性を好きになる」「自分は、人間が嫌いだから、そうなることはなかった」

一読しただけ。わたしは、忘れっぽいし頭も悪いので、一言一句 同じではないけど。概ね、こんな内容だったかと。これからは わきまえて 読まないようにしようと思った。


わたしは、
寂しがりやで 人間が好き。

バイセクシャルと 寂しがりやは 関係ないと思うけれど、
幻覚症状やイマジナリーフレンドについては 寂しがりやだからかもしれない。

人間が好きだから、
バイセクシャルっていうのは  
極端な話だけれど、

人間嫌いのひとは 
バイセクシャルに ならないだろう。

男女を区別していないふうなところは 少しは あるかもしれない。

でも、

わたしは 

女付き合い(女の子グループ)が
苦手で、男性といるほうが楽。

いちばん親しい知人も男性。

「男女の思考を比較する本」をみかけるけれど、その程度には 違いは感じるし どちらかというと男性のほうが話しやすい。


女の子が苦手だという
意識はあるのに…

なんでバイセクシャル?

と 自分でも わからなくなる。


「好きになったひとが たまたま 女の子でした」としか言えない。

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高校生のとき、あの日、
ふと振り返ったとき

授業が終わって
眼鏡を外した女の子に
一目惚れした。

あの一瞬がなければ、

わたしは、バイセクシャルという自覚がないまま 人生を送っていた。

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バイセクシャルからすると、

「異性だけ好き、同性だけ好き」

というひとたちを 

「片方だけが好き」と ひとくくりにすることが できてしまう事実に気づいた。

これは、ひとによっては かなり不快な ひとくくりだと思うけど、

「受け入れられない」
って どういう気持ちなのか
わからないので リサーチ。



知人いわく

「同性は、家族みたいなもの」

なるほど。
わたしは家族を恋愛対象に思えない。
この感覚なのか!

じゃあ、
家族を恋愛対象にするひとって…
新たな疑問が 幕開け。



夫いわく

「胸キュンするか しないか。
 あとは、性欲かなー」

胸キュンね。
答えとしては釈然としないなあ。

性欲か。
わたしは、恋愛対象でなくても できるからなあ。これについては、自己嫌悪してしまう。「愛したひととだけ」っていうひとに出会うと 自分を大切にしているのだな、と思う。

SEXは、

異性愛者でも 同性愛者でも
バイセクシャルでも、
しないひとは しないからなあ。


そういえば、
イマジナリーフレンドを
恋人にするひともいるんだっけ。


ひとの多様性に考えを巡らせた。


もみじ紅葉