おひさしぶりです!
諸事情あって、過去記事全てをいったん非表示+名前およびブログ名を変えてみました。(以前の名前で、スピ関係ではない人とつながりができたため、一応)
名前は、前に聞いてみたハイヤーセルフの名前の一部を拝借。(笑)

さて。過去記事でも触れていましたが、これまでの約4年ほど、私の生活は金銭的不安と共にありました。
今でも不安はあります。不安どころか普通に赤字ですし。(「普通に」とか言っちゃいけないかもしれないけれど。でも、そろそろ好転するかな? どうかな……?)
それでも一つ変わったことは、不安からしゃかりきに仕事(出来高制)を頑張るのをやめたことです。
過去の4年ほどは、ずっとそれをやっていました。でも、この間、散歩中にふと(笑)、それでも経済状況が全く好転していないことに気が付いたのです。「あれ? もしかして、このやり方って全然有効じゃないのかな」と気付いてしまったわけです。
「生きるためにガンバロウ!」というのは、一見ごく当たり前の、この世の習いのように思えるのですが、どうやらそれは全然賢いやり方じゃないみたいだぞ、ということに、真綿で首を締め続けられるような4年間の末に気付いたわけです。

(そんなわけで、今回のタイトルも「機能していない、無駄だ」という意味の英文にしてみたのですが、「それは“働く”ってことじゃないよ~」みたいな意味にも取れそうで、なんだか示唆を感じています、、、)

そういうわけで、今現在は、「不安はある。でも、不安から動くことはやめよう!」と思いながら生活しています。(不安だけじゃなくて、闘争心とか他人の言葉とかもね…)
そうしたら、徐々にですが、不安が自分の中で支配権を失ってきたといいますか、力が弱まってきているな~と感じています。不安から動くことで、自分の操縦席をどんどん“不安”に明け渡してしまっていたのかもしれません。

不安なるもの。芥川龍之介が「ただぼんやりとした不安」から自死を選んだことは有名ですが、人間ってただ不安というだけで死ねるんですよね。破壊的な出来事が実際に起こっていなくても、何かが起こったらどうしようという頭の中のバーチャルな恐れだけで死ぬことができる、稀有な動物なのだと思います。
私も不安感の強い人間ですが(ついでに言えば親もそうで、不安感から安全第一で道を選んでサバイブしてきた人たちだと思います)、特に今年の頭からは“不安”がテーマとして来ているような気がしていました。

この4年ほどは本当に苦しく、生きても生きても光が見えないような状態が長々と続いていましたが(経済的には、の話ですけどね)、それはこのことに気付くためにあったのだと思えば、この4年間は決して悪くなかったと思えるのです。

絵のほうも、最近また変化が生じてきました。それについては、日を改めて書ければと思います。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。