HIROのルート66ブログ -31ページ目
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親友ジェフとの再会

シカゴ郊外、ウィロウブルックにあるレストラン「チキンバスケット」で、1991年にシカゴに来て以来、ルート66のあらゆる近況を教えてくれた友人、ジェフ・マイヤーと久しぶりの再会(2008年8月)を果たしました。当時、彼はアソシエーションのボードメンバーで、モーターツアーの幹事やルート66の広報活動でハイウェイを行ったり来たりで、忙しい毎日を送っていました。ジェフは、シャイで早口、とても面倒見がよくて、私の初めてのルート66の旅の時も、ハイウェイに関わる人たちを紹介してくれた大親友です。彼がいなかったら、この『ルート66、再び』のような「濃い」本はできなかったでしょう。
チキンバスケットではオーナー、パットを始め、本書で「ダークナイト」を一緒に見たあと、シカゴを紹介してくれたフランク、現役のアソシエーション・ボードメンバーたちと久しぶりのすばらしい晩餐をともにしました。もちろん、みんな「チキンバスケット」を注文。そのときの様子はこちら▶▶▶

hiroのブログジェフと著者、1999年12月20日撮影。
hiroのブログジェフと著者、2008年8月12日撮影。やっぱり年はとるね。
hiroのブログこれが「チキンバスケット」一押し、チキンバスケット。半身のフライドチキンはボリュームたっぷり。

ルート66、再び2

さて、『ルート66、再び』(徳間書店刊)本編第1章イリノイ編で、映画「ダークナイト」についてちょっと書きましたが、クリスチャン・ベイル=バットマン・シリーズをシカゴで見るとおもしろさは倍増します。東ワッカードライブ・ビルやフランクリン・ストリート橋など、シカゴというよりゴッサムシティの「街並」を見ているようです。
hiroのブログ-35 Wacker Drive building
シカゴシアターから望む東ワッカードライブ35番ビル。
ドーム横の四隅のひとつにバットマンが立っていた。

ルート66、再び

ルート66、再び :時空を超えるオールドハイウェイの旅という本を徳間書店より2009年3月に出しました。フォトグラフィーとストーリーを組み合わせ、アメリカの伝説の道路、ルート66の姿をあぶり出したつもりです。このブログでルート66をテーマに、意見交換し今後の作品に活かしたいと思います。
徳間書店 /A4変型/208P(オールカラー)/3675円(税込)ISBN:978-4-19-862709-6
http://www.amazon.co.jp/ルート66、再び-花村-広/dp/4198627096
花村 広 Hiroshi Hanamura
hiroのブログ-Route 66 Revisited Cover image
 シカゴからロサンジェルスまで、ルート66は、イリノイ、ミズーリ、カンザス、オクラホマ、テキサス、ニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニアの八つの州の町々を繋ぎ、ミシシッピ川、コロラド川というふたつの大河と分水嶺を越え、三時間の時差をくぐりぬける。
全長は、およそ 2500マイル(約4000㎞)。途中、大平原や山岳地帯で待ち受けるのは、竜巻やサンダーストームに、夏なら強烈な日差し、冬なら凍てつく寒さ。そして超過疎地隊の砂漠ではパンク、ガス欠と冒険の要素にことかかない。
 もともとはネイティブアメリカンの人たちが行き来した道であり、東海岸へたどり着いたピルグリム・ファーザーズの子孫が、西へ西へと切り拓いた道の数々を、一本に繋げたものだ。一九二六年、州間を行き来する大動脈道路が設立されることになり、この幹線道路に「66」という番号が、与えられることとなった。USハイウェイ66の誕生だった。
そして道は伝説を紡いでいく。
 1930年代、中西部に吹き荒れた砂嵐によって、生活を追われた農民たちが、ルート66をカリフォルニアへと移動した惨状を、ジョン・スタインベックは小説『怒りの葡萄』に描いた。出版当時は発禁処分となった衝撃的な内容の物語と平行して、一章毎に差し込まれた当時の社会背景にある道の様子は、「マザーロード」という呼び名とともに、その存在を世に広く知らしめることとなった。
 また、アメリカが輝いていた1950、60年代、ボビー・トゥループの作詞作曲した「Get your kicks on Route66」の軽快なリズムは、「ルート66」のテレビドラマとともに人気を博す。道としての本来の役割に加えて、「旅」という新しい目的を見つけて、人々はこのクロスカントリー・ハイウェイを、より身近なものとして親しんでいったのだ。以降、旅やアメリカを思い起こさせる道として、ノスタルジーを醸し出すアイテムとして、さまざまな形容に彩られながら、記憶に残ることとなった。
 やがて次世代のスピード輸送構想の導入によって、町々を迂回するインターステイト・ハイウェイが次々に建設され、一九八五年に、最後まで残っていたウィリアムズ、フラッグスタフ間が繋がると、シカゴからロサンジェルスまでのすべての行程が五つのインターステイトで結ばれ、USハイウェイ66は正式に使命を終えた。幻のハイウェイと呼ばれる所以である。
 しかしUSハイウェイ66ではなくなったものの、ルート66は、州道や、あるいは以前に使われていた名前にもどって、人々を運び続けている。
 ロードサイドに捨てられた車を見つけると思わず見入ってしまう。持ち主はどこから来て、どこへ去ったのか。どんな人物だったのか。
 荒れたペイブメントの向こうには、この道を進んだ開拓者の、行き交ったアウトロウの、そして彷徨ったオクラホマ難民の痕跡が眠っている。
 家族で旅している人たちの楽しそうな笑い声や、希望に満ちた横顔が透いて見える。
 そしてまた、出かけてみたくなるのだ。
 ルート66。
 旅へ誘う永遠のハイウェイである。 (『ルート66、再び』まえがきより)


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