昨年の育樹祭の後、新聞記事を読んだ方から
自宅の庭のハナモモが落とした種をプランターに入れて育てている。
50センチほどの苗が40本以上あるから、寄贈したい
というありがたいお話をいただいていまして
1月28日にまずご挨拶に伺いました。
豊山町で昭和レトロな喫茶店を経営しているOさん。
苗は10鉢程度のプランターに数本まとめて植えられていました。
喫茶店らしく、土の上にコーヒーかすと卵の殻。
栄養がいいのか、まだ背は低いけどしっかりとした幹の苗です。
育樹祭が近づいたら、また頂きに伺うことにしました。
お店の裏庭に、立派なハナモモの木
この木がたくさん種を落とし、その中で芽をだしたものを見つけて
プランターに移しているそうです。
木を育てるには実生が一番確実だというし、しかも気候がほぼ変わらない近場でできた種。
これは高森台の荒れ地でも元気に育ってくれるはず♪
それだけじゃなく、
このハナモモのルーツが、
桃源郷プロジェクトの原点となった
阿智村のハナモモにもつながる木だったということを知り、感動!!
私たちが「ハナモモの植樹リレー」と呼んでいる、ドイツから始まるストーリー。
かいつまんで説明すると・・・
「電力王」福沢桃介が大正時代にドイツ・シーメンス社の庭に咲いていたハナモモを気に入り
苗3本を持ち帰り木曽の発電所の敷地に植えたところ、
そのうち2本が毎年三色の美しい花を咲かせていたそうで、
その種を拾って、妻籠宿の自宅近くの国道に植えたのが藤原長司さんという方。
花の美しさに惹かれて種をもらい受けた人が道沿いや庭に植えていったことで
次第に国道沿いにハナモモ並木ができ、それが清内路村の「花桃街道」となり、
その苗を譲り受けた阿智村の渋谷秀逸さんが、精力的に何年もかかって植えていったのが
今の阿智村、花桃の里につながっているのですが・・・。
(全然かいつまんでない?いえ、これでもかなり端折ってます)
Oさんは清内路までのいきさつを書いた紙を、苗を買ったとき貰ったそうで
見せてくださいました。
平成10年と書かれています。
私たちが最初のハナモモを手に入れたのが渋谷秀逸さんから。
Oさんは清内路村で藤原長司さんが育てたハナモモの子孫なのです。
つまり元をたどれば同じドイツの苗ということ。
不思議な縁を感じました。