私の師匠は言っていました。

「なぜ、ご主人が何度も入退院を繰り返すのか」

「なぜ、あなたの人生が この人生だったのか」

 

 「ご主人がなくなったら言ってあげる。」と・・・・

しかし、主人が亡くなる前に 先生の方が先に亡くなってしまいました。

 

 私は なぜ、この人生だったのかを 自分で探さなくてはなりません。

 

 この橋を渡ってしまえば吹田市 戻れば実家のある大阪。

 

 私は、橋の真ん中に佇んで 淀川の川面をずーっと見ていました。

 

「帰りたくない。」

「戻りたい 実家に。」

「しかし、帰らないといけない。」 

「子供たちが待っている。」

 

私は、この時 岐路に立って、母親という 自分の人生に責任を取ったのです。