ここにいるのも残すところ2日となった。

最終日である明日の夜は、みんなでお別れパーティーをするらしい。しかもそれぞれの国から出し物を一つして、と言われたんですけどガーン
そんないきなり言われても・・・。そして、みんなで案を出し合っても大した案は出ずゲッソリ
誰か空手とかお茶とか日本舞踊とか出来たらそれで済むのに・・・。

そしていよいよ最終日。
ここにいるのも今夜で最後だ笑い泣き
出し物が何より不安な日本人チームチーン

各国の出し物を見ていく。
ブラジルの子達も歌を披露してた。
写真下部の裸の男性達はニュージーランド人で、なにか叫びながら?気合いをいれながら、踊っていた。応援団的なものだったのかしら?すごい気迫だったよーポーン

日本人チームも結局「大きな栗の木の下で」を振り付け付きで歌うだけの出し物になった。ウケることもないだろうけど、振り付けもある分多少マシだろう。


でも、ビックリした事に、ブラジル人がこの歌を知っていたのだポーンポーンポーン

今思えば、1908年に始まった日本人のブラジルへの移民政策が影響してるのだと思う。
ちょっと歴史のお勉強になるけれど、簡単に言うと、奴隷がいなくなり労働力が足りなくなったブラジルが日本に対して移民の受け入れを宣言し、そこにちょうど不景気で働き口の無い多くの日本人がお金を稼ぐためにわざわざ遠いブラジルまで行ったのだ。(高待遇でお金を稼げる!と聞いて夢を抱いて行ったのに、実際は奴隷のような扱いだったとか・・・)しかも数年後に戻るつもりが、第2次世界大戦が始まり、戻るに戻れなくなって、結局永住せざるをえなかった人も多くいたらしい。

今でも多くの日系人がいるブラジル。そんな歴史的背景は全く知らず、なんでこの歌知ってるのー?なんてただただ驚いたのだ。
きっと日本人のおばあちゃんやひいおばあちゃんが祖国を思い出しながら歌っていたんだね。

↑内容が間違っていたら訂正して下さいませ(笑)

どの国の出し物も歌や踊りだったニヤニヤ
考えることは同じだねー。だから、可もなく不可もなくって所でした。

その後に何故か、私の演奏で何人かでタイタニックの主題歌「My heart will go on」を合唱する出し物もあった。国ごとだけじゃなくて、留学生ごちゃ混ぜグループでも一つ発表するとかだったのかしら・・・?記憶が曖昧ニヤニヤ



ちなみに上のはじけてる方々はオーストラリア人のトレーナー達。ここまでしっかり作りこんで出し物をしたのもこの人達だけでした(笑)

そして、夜はみんなで今夜が最後だと夜更かししながらいろんな話をした。これからみんなで頑張ろうと励ましあって、眠った。

翌日は5時起きでみんなでバスに乗り、まずはシドニーの空港まで。
シドニー付近に留学する人は寮でバイバイをした。

たった二週間だったけど、目的が同じ留学生達。不安な気持ちもみんな同じ。みんなでハグをしながら泣きながらまた会おう、と誓ったえーん

そして空港に着き、そこから更に到着地が違う人達とも別れて、どんどん人数が減っていった。
いよいよホストファミリーが待つブリスベンの空港へ!

さてどんな出会いが待ってるのかな?
私の留学生活はどうなるのかな?
ドキドキだーーーーーっハートブレイクラブラブハートブレイクラブラブ