やっぱり、やるからには完全燃焼してほしい。

 

10年、20年が過ぎ去り、彼、彼女らが自身の少年少女時代を振り返った時、

 

それらがいつでも輝いているものであってほしい。

 

その時には、もう僕はこの世にいないのかも知れませんが(笑)。

 

でも、一筋縄ではいかない。

 

中学部活動、何が一番難しいのだろうか?

 

それは、もうほとんど即答できるのですが、子どもたち、大人も含め、

 

各個人の温度差。

 

「部活ですから。」

 

これは、良い意味でも、悪い意味でも、何度も何度も出て来た言葉。

 

部活だから、それは学校生活のほんの一部分に過ぎない。

 

部活だから、そこまで一生懸命やる必要はない。

 

部活だから、強制はしない。

 

僕もほとんど、まあ、それはそのとおりだなあ、と思うようになりました(笑)。

 

しかし、そこからが自分たちの出番。

 

「三年間終わって、君らが部活面白かった、って思ったら僕の勝ちや。」

 

実際には・・・?

 

正直、分かりません。

 

三年間取り組み、部活動全体としての大きな枠では、ある程度形に出来た

 

部分はあるのかな、と思う反面、個人個人の顔を思い出しながら考えてみると・・・。

 

もう少し、自分に能があれば。

 

良く見て、良く気付き、ふさわしい言葉を使うことの出来る才があれば。

 

ただ単純に剣道を好きになってもらうだけなら、自信があります。

 

教えること、気付かせること、小さな「出来た!」を積み重ねて行くこと。

 

ちょっと無理かな、という挑戦を工夫と地道な努力で乗り越えさせること。

 

ただ、そこから先が、難しい。

 

「部活ですから。」

 

剣道競技の勝負、という点に関しては、正直、部活動だけで強くなるには

 

限界があります。なぜなら、本当に強い子は部活動の外の世界に生きているから。

 

しかししかし、部活動の本質は、きっとそこだけにあるわけではなくて。

 

だから、「部活ですから。」

 

ある子には、毎日部活に来て仲間と楽しく過ごすことがゴールであるかも知れない。

 

ある子には、試合は好きじゃないけど剣道形や審査で合格して行くことが楽しい。

 

ある子には、勉強こそが本道、負けたら悔しいけどそれはそれで納得している。

 

つまり、「普通の部活動」には、特に中学スタート組が多ければ多いほど、例えば

 

小学校からの剣道経験者こそが過激、異端だったりする世界なのです。

 

そして、繰り返し、だからこそ、そこからが自分たちの出番なのだとやはり強く思います。

 

最大限、その子どもたち個人(あるいはご家庭)の性格、思い、考えは尊重しつつ、

 

ちょっとだけその子の枠、幅が広がるような機会、挑戦を提供、喚起し続けること。

 

だって、「部活ですから。」

 

剣道の現在は五人団体戦。

 

(普通の)中学部活動で、おそらく一枚岩はほとんどありえない。

 

しかし、そのバラバラを、繋ぐ。

 

そこにこそ、きっと大きな意味と可能性がある。

 

だからこそ、面白い。

 

この秋も、また来年の夏も。

 

一歩一歩、一人一人。

 

 

 

五月の武道場大掃除。この後姿はもしや・・・?

 

 

hiratapapa