剣道に関する全てのことが、なんだか遠くに感じる今日。

 

時間を見つけては町内の河川公園に通う日々も、

 

県内の感染者増加に伴い、少し前は可能だった少人数での集まりも自粛。

 

もはや最小単位の「父と娘」でのみ、竹刀を交わす現在。

 

 

しかし思えば、そこから始まったのだった。

 

僕の剣道などとは、削ぎ落として行けばただひとえに娘のためであり、

 

いつか娘が竹刀を置く日が来れば、僕もまたそうなのだろう、と自分でも理解しています。

 

(最近では自分なりの学び、研究を教室の子どもたちに伝える、という

 

喜びも見出してはおりましたが。)

 

この近日の、正に信じられない状況のただ中にあって、

 

やはり、「あなたにとって剣道とは?」

 

探られ、自問自答してしまいます。

 

 

今、娘と取り組んでいることは、大きく分けて二つ。

 

「近間で打つこと」、「打たせて打つこと」。

 

近間で打つことは、恐らく周囲ではそれほど重要視して稽古されては

 

いないように感じています。二度ほど見た県内の中学生の錬成会でも、

 

特に女子でこの打ち方をする選手はほとんどいなかった印象です。

 

近間で、直線ではなく曲線で回して打突を決める。

 

当然、前ではなくその場、もしくは後ろに。

 

小学生時代も練習はしていましたが、やはり身体に掛かる負荷もあり、

 

そこは無理をしないようにしていたのですが、少しずつ、試しています。

 

 

打たせて打つことは、ある時出会ったこの言葉。

 

「剣道の技術を大きく二つに分けるとするならば、攻めて打つことが表半分、

 

打たせて打つことが裏半分、これしかありません。」

 

簡単に手を上げて守ることへの戒めですが、これも僕の理解が

 

今さらながら追い付いて来て、6年生の終盤からようやく取り組みを始めました。

 

待って打つ、のではなく、打たせて打つ。

 

この二つは似ているようで大きな違いがあり。

 

今までは半分以上が「攻めて打つ」、ことしか実践して来なかったので、

 

もっと柔軟に、自由に、幅のあるスタイルを勉強中です。

 

 

何よりも面白いのは、「これはこういう風に思うからこうしてはどうか?」

 

というところに娘も一緒になって自分のアイディアや意見を出せるように

 

なって来たところです。

 

成長。

 

新しい動きや習得しようとしている技も、なぜそれが決まるのか、

 

どういう場面で使えるのかを自分の言葉で説明、話してもらうようにしています。

 

そのやりとりの中で逆に僕自身が教えられることもまたたくさんあり。

 

このようにして、「剣道」は我々親子の間でも、独自のひとつの言語で

 

あるのだと思います。

 

 

今日は町内を、「不要不急の外出を控えるご協力を。」とアナウンスする

 

警察車両が赤色灯とともに、ゆっくりと巡回しておりました。

 

依然、何もかもが止まったままで、もしかしたらこのまま道着に袖を通す

 

機会も再び訪れることがないのかも知れない、そうぼんやり考えたり。

 

それでも、これまで積み重ねた時間は変わらずにそこにありますし、

 

今現在不安の中で取り組んでいることも、きっとまた様々な角度から

 

新しく意味を持って光る、無駄にはならないと信じております。

 

 

娘の竹刀は36から37の長さ、重さに変化しましたが、この二ヶ月でほとんど

 

遜色のない振りの強さ、速さを獲得して来ていると感じています。

 

願わくばもう一度、試合場で一礼、帯刀し、何ごとかに挑みかからんばかりの

 

娘のあの背中を見てみたい。

 

それはまたきっと、同じように剣道に携わって来られた指導者の先生方、

 

保護者の皆さんの共通の想い。

 

もう一度、きっと。





 

希望


夕ぐれはしずかに
おそってくるのに
不幸や悲しみの
事件は

列車や電車の
トンネルのように
とつぜん不意に
自分たちを
闇のなかに放り込んでしまうが
我慢していればよいのだ
一点
小さな銀貨のような光が
みるみるぐんぐん
拡がって迎えにくる筈だ

負けるな
 

 

杉山平一/詩集「希望」