今日は、発心門王子から熊野本宮大社までの熊野古道(中辺路)を歩きます。

 

朝、新宮を車で出発。

熊野川沿いを遡り、本宮大社の駐車場に車を置きました。

 

バスの時間までは「世界遺産熊野古道センター」を見学し、8:20本宮大社発、発心門王子行の「龍神バス」に乗りました。

 

バスはさらに熊野川を遡っていきます。

このあたりの熊野川は、とにかく河原が広大です!

 

やがて川を離れて、山のほうへ。

 

20分弱で、発心門王子バス停に到着。

山の中にポツンとバス停がある所を想像していましたが、トイレも自販機もありました。

 

ここが、発心門王子跡。

九十九王子の最盛期は12~13世紀。今は〇〇王子跡として残っているのみで、建っているのは後世の祠です。

王子は参詣途上で儀礼を行う場所であった。主たる儀礼は奉幣と経供養(般若心経などを読経する)であり、神仏混淆的である。(Wikiさんより)

 

たくさんある王子の中でも、発心門王子は最も格式の高い「五体王子」の一つだそうです。

 

その発心門王子から、いざ、本宮大社へ。

杉林の中を進みます。

 

林の中だけでなく、舗装された林道ぽい道も多いです。

道はおおむね、ゆるやかな下り。

 

地図で見れば、発心門王子~本宮大社は、長大な中辺路のごく一部、いちばん最後の部分。

最後のほんのちょこっとだけ、それも下り道を歩いて、「中辺路を歩いたぞ~!」って気分に浸れる安楽なコースです。

 

地元の集落の中も通ります。

 

様々な花が咲く、手入れされた庭先。

 

熊野の山を見ながら。

 

時々、いろんなものが出てきます。木彫りのお地蔵さんとか。

 

八咫烏とか。

 

水呑王子跡。

 

後白河上皇も通ったかもなー。

林は、ほとんどが杉。植林?

 

道休禅門地蔵。

お地蔵さんは道中、ここ1か所だけだったような。

 

あちこちに整備してある、案内道標。

 

田辺市住民バス。毎週木曜日だけ運行。

 

小さな茶畑。

 

集落は、坂の下のほうまで続いています。

 

百日紅の花。

 

菊水井戸のあと(今も井戸)。

 

北のほうに見えるのは、奈良との県境にあたる、果無山脈です。

突き出しているのは百前森山(三里富士)というそうです。

 

伏拝王子跡に着きました。

伏拝王子は熊野本宮に近い高台。

ここまで来ると本宮大社が見え、旅人はついにたどり着いた喜びに、伏して拝んだと言われています。

 

本宮大社の方向、今は草で見えないけど…

 

伏拝王子跡にはお茶屋さんがあったので、休憩していきます。

 

地元、湯の峰温泉のお湯で淹れたコーヒー200円と、手作り紫蘇ジュース200円。

蒸し暑い日だったので、とても美味しくいただきました。ホッとします。

 

伏拝王子跡から、さらにゆるやかに下り道。

 

九鬼ヶ口関所跡に到着。

 

関所跡にならんで、三軒茶屋跡。

関所にお茶屋が三軒、あったのでしょうね。

紫蘇ジュースとかアイスコーヒーとか売ってたのでしょうか。

 

この関所の前は、中辺路と小辺路とが合流する場所。

今通って来た中辺路はメインルートですが、高野山から山深い中を来る小辺路は、もっとたいへんな道のようです。

 

現代の標識もありますが、ひっそりと、昔の道しるべも。

左 かうや(高野/小辺路)   右 きみい寺(紀三井寺/中辺路)

紀三井寺も、高野山も、遠い遠い道のり。

でもいつか、その道のりの、ちょっとだけでも、また歩いてみたいです。

 

関所跡を過ぎると、初めて石畳が出てきました。

かなりゴロゴロしていて歩きにくいので、昔のままの石畳ではないかしら。

 

そのうち、木の根道に変わりました。

 

「ちょっと寄り道展望台」という案内に従って、ちょっと登って寄り道。

熊野川と、その河原に建つ大斎の大鳥居が見えました!

昔はあの大鳥居の先に、本宮大社が建っていたわけです。

奥に重なる、山また山。

 

祓殿(はらいど)石塚遺跡。ここまで来ると、本宮大社は目前。

石塚と呼ばれるのは、参拝者が石を積み上げていたためらしいです。

これは宝篋印塔の一部。石を積むって、山でケルン積むみたいな心境かしら。

 

ここから、道は本宮大社のすぐ裏手の団地に入りました。

団地といっても、かなり古めの住宅街です。

 

最後の王子、祓殿王子跡。

本宮大社に入る前に身をきよめる、潔斎所だったとか。

 

本宮大社の鳥居は、そこからすぐです。白木の鳥居。

この道は、本宮大社の正面ではなく、裏手から入っていくことになります。

 

正面の鳥居はこちらです。

 

 

すべての道の終着点、熊野本宮大社。

本殿はじめとする建物も鳥居も、全部朱塗りでははく、白木造りでした。

 

和泉式部の祈願塔。

和泉式部が、「月のさわり」となって「これでは参詣できない」と詠んだ歌

晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて月のさわりとなるぞかなしき
に対して、熊野の神が夢に出てきて
もろともに塵にまじはる神なれば月のさわりもなにかくるしき

つまり「そんなん気にせんでいいよー」と言ってくれた…という、お話。

おおらかな神さまです。

 

八咫烏ポストも人気でした。

 

八咫烏、三山でそれぞれ別のデザインみたいです。

 

 

今度は、最初に本殿が建っていた場所、大斎原(おおゆのはら)へ移動。

熊野川の広大な中洲です。

明治時代、1889年の水害で流失するまで、本宮大社はここ、大斎原にありました。

今の境内地よりもずっと広かったそうです。

参詣の人は、熊野川で着物を濡らして清めて、参拝したそうです。

 

今の大斎原には、大鳥居が建っています。

この大鳥居、日本一の大きさなんだそうです。

 

中央には八咫烏。

 

広大な、旧社殿地。

 

残った社殿の一部は移転せず、石造りにしてここに残っています。

 

熊野三山は、古来の自然崇拝を起源としているということです。

「那智の滝」への崇拝が、那智大社という形になりました。

では熊野本宮は?

川が合流して生まれたこの広大な砂州そのものが、崇拝の対象だったのでしょうか。

 

広々とした大斎原、その一部は今、熊野本宮の駐車場。

駐車場の先に、ゆったりと熊野川が流れています。

朝、車を停めたのはここ。

ひょっとしたら、古代から拝まれてきた所にある、特別な駐車場だったのかも?

 

 

熊野古道歩きを終えて車に戻りました。

今度はどこへ行こう?

先ほどの古い道しるべにあった、高野山からの小辺路。その道中にある「果無集落」。

行ってみたいなぁ…ということで、熊野川沿いを遡って、北へ。

 

道の駅「奥熊野古道ほんぐう」がありました。

 

ここで昼ごはん。

名物目はり寿司ですが、これなら目を見張らなくても食べられる、小さめでお上品なサイズ。

 

道の駅から、さらに国道を北へ。深い熊野の山の底に、熊野川が見えます。

国道の道幅も狭くなり、路側帯もない。ちょっとしたスペースに車を停めて撮りました。

 

「二津野」というバス停。五条から来る、日本最長の路線バスが通ります。

見たところ民家は皆無ですが、地図で見ると、細い道をず~っと辿っていくと吊り橋があって熊野川を渡り、その先に集落があります。(行ってみたいなあ…)

 

この「二津野」には「二津野ダム」があります。

ダムの上流では、熊野川の姿が大きく変わります。

そして、十津川温泉の表示が出てきたあたりで、国道を左に折れると、果無集落への道。

曲がります!

 

……ですが、この道、ほんのちょっと登ったところで、進むのを諦めました。

行き違い困難プラス急坂、とてもとても無理!!

果無集落へはいつか、五条からの奈良交通バスに乗って行ける日を、楽しみにしたいと思います。

 

果無を諦めて、また熊野本宮大社まで戻りました。

さらに熊野川沿いに下ります。

相変わらず河原は広大。

 

次の目的地は、三重県に入り熊野市、熊野古道の「伊勢路」。

途中で左折し、熊野川を渡って、山の中へ。瀞峡の方です。

 

でも瀞峡には行かず、さらに右折し、三重県に入りました。

道の駅「熊野・板屋九郎兵衛の里」で休憩です。

 

道の駅は、板屋川という小さな川沿い。

 

向こうの山腹に、不思議な建造物があります。

紀州鉱山選鉱場の跡。銅山などあったらしいです。

昭和12年~昭和53年まで稼働、日本で第二位の規模だったとのこと。

 

このあたりは、碁石に使われる那智黒の産地のようです。

道の駅のオブジェに、たくさん使ってありました。

 

ここでアイスを食べて休憩です。

お土産に、さっき本宮大社のそばで飲んだ、赤しそドリンク。

それから、じゃばらドリンク。「じゃばら」というのは、地元特産の柑橘です。

(どっちも帰宅後、美味しくいただきました)

 

休憩後はさらに山を進み、だんだん海の方へと下っていきました。