平成の最後に、ついに、とうとう、義母を見送りました。寂しくなりました。
慌ただしかった4月、最後の週は、疲れが出ていたのか、それとも、あれが虫の知らせだったのか・・なんとなく、家にいるようにという誰かの声がしたようで、週の始めからずっとそうしていました。
4/23(火)の夕方、義姉を通して、愛媛にある義母の入院先の病院から、いつもと様子が違うということで連絡を受け、義母のもとへ駆けつけました。
義母は、10年前に足の骨を折ったときの入院生活がきっかけで、病院や施設をいくつか移り、徐々に寝たきりになりました。認知症も進んで、この何年間かは話すこともできなくなっていました。
でも、最後まで耳は聞こえていたようで、起きているときには、私達が呼びかけると声のする方に顔を向けて目で追いかけてくれる、そんな感じでした。
それなのに、最期の時は、駆けつけた私達や孫達の顔を見ると、大きく息を吸い吐き出す時に「アー」という声が出て、孫になる私の娘がそばに行った時には、大粒の涙さえ流して
もう何年も声を出すことなどはなく、最後は体重も20kgにも満たない痩せた身体になっていましたが、あの声は偶然のことではなく、義母が最期の力をふりしぼって、私達ひとりひとりに「ありがとう」と言ってくれていたのだろう・・と思いたいです。
知らせを受けて駆けつけた4/23の夜は、実の子である私の夫と義姉が病院に泊まり込み、私と娘は近くのホテルで仮眠、翌朝病院に駆けつけましたが、それを待っていてくれたかのように、子や孫に見守られながら、4/24の早朝、静かに逝きました。享年90才の大往生でした。
4/25にお通夜、4/26にお葬儀を、家族葬というかたちで、親戚などの近しい者だけで静かに執り行いました。義母が、生前にお世話になったご近所の方々もお参りに来てくださいました。
実は、亡くなる10日ほど前のこと、入籍したばかりの娘夫婦を連れて義母に会いにいきました。義母の意識があるうちに、「孫の◯◯◯が結婚したよ、この人がお相手の方だよ」と、ちゃんと紹介しておきたくて。
その時も、声のする方に顔を向けて、目で追いかけて、ちゃんと二人の顔を見てくれているようでした。それだけでも私には嬉しいことでした。
娘達夫婦、特に彼が、私達のその意を汲んでくれて、快く一緒に行ってくれたこと、葬儀後にも、あの時、会いに行っといてよかったと言ってくれたことにも心が和みました。
葬儀の翌日は、夫や義姉と共に、お世話になった病院やご近所に一軒ずつご挨拶にうかがったり、お寺や石材店など急ぐ用事のところをいろいろと回ったり。
途中で見上げた夫の実家の奥に見える山のてっぺんには「雪」が
そして家の前の道の際には、まだ「ツクシ」が。
自然がいっぱいの井上の実家のあるあたりは、そこだけ、春の訪れから取り残されているようで、なんとなく切ない気持ちにもなりましたが
庭のサンショの葉の香りに触れたり
膨らみはじめたウメの実を見つけたりしては
義母と一緒に台所に立ってお料理をしながら、料理のことだけでなく、井上の家のことも、いろいろと教えてもらったことを思い出したりもしました。
義母は、いつも優しくて、おっとりとしていて、可愛らしくて、結婚前にはじめてお会いした時からずっと、私が思い出す限り、嫌な思いをしたことは一度もなくて、浮かんでくるのはいい思い出ばかり。
義父と共に私を井上家にあたたかく迎え入れてくださったこと、感謝の気持ちしかありません。本当に、たくさん、たくさん、ありがとうです。
告別式のときには、義母が趣味で描いていた水墨画を飾っていただき
棺にも色紙を何点か入れました。そして、3年前に亡くなった義父が、生前に趣味でしていた木彫りの小作品も一緒に。
義母が入院してからは、残念ながら義父母の生活の場が別々になってしまったけれども、いつもお互いを思いやっていることが伝わってくる仲の良おい夫婦でした。私達もそうでありたいな、そして娘達夫婦にもそうであってほしいなと思います。
この3年のうちに、義父、義兄を見送り、そしてまた義母を・・寂しくなってしまったけれど、お義母さん、やっとお義父さんと一緒になれるね、天国で仲よく暮らしてくださいね。ほんとうにありがとうございました。