本日は私がエッセイ本が好きになるまでの成り行きを語ります。
前回の記事で書いたように、私は小学生のとき読書が大好きでした。
図書館で人気の本や、(中学受験をしたので受験生が読んでおくと良いという)親に勧められた本を読んでいました。特に「青い鳥文庫」が大好きで、気にいった物語が何度も読み返していました。
中学・高校時代は読書をした記憶があまりなく、非常に悔やまれます。
それでも現代文の授業は特に勉強しなくでも良い得点を取れていたのは、小学生時代の読書のお陰でした。
大学生になって、大学の図書館がお気に入りになり、また読書の習慣が始まりました。
小学生のときとの大きな違いは、授業に関連する専門書や新書を読むようになったこと。
特に新書はいろいろなテーマがあり、背表紙を見るだけでウキウキしていました。
小説では東野圭吾の推理小説をよく借りていました。
でも大学生になって推理小説ばかり読むのは良くないと思い、惹かれたタイトルの本を読むことにしましたが、徐々に「たくさん本を読みたいけど、何を読みたいかわからない」という状況に陥っていきます。
というのも、私は当時、あまり家庭環境が良くなく、辛い気持ちになっていることが多かったからです。なのでとても幸せな結末も、悲しい結末も、その時の私にとっては後味が悪かったのです。
けど専門書や新書ばかりでは気疲れしてしまうのも事実で、なにか気軽に読める本を探していたところ、角田光代さんの「さがしもの」に出会いました。
こちらの本は本を題材にした短編集で、「そうそう、こういう本が読みたかったの!」と嬉しくなったのを今でも覚えています。
そして角田光代さんの本を読んでいくうちに、「恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。」を読み、これが初めてのエッセイとの出会いでした。
まるで角田光代さんが私の友達で、カフェでお茶を飲みながらお話ししているような・・
そんな気分にさせてくれました。
普段は本に鉛筆で線を引くことはしないのですが、角田さんと同意見!と感じた箇所にせっせと線を引いたり、自分も意見も小さく書き込んでいました。
「私が読みたいのは、エッセイというものなんだな」と確信しました。
小説は自分の好みに合う内容であれば元気がもらえるし、幸せな気持ちになれます。
でも当たり外れが激しいな、と感じ始めたのです。
それが読書の醍醐味と捉える人もいると思いますが、私は自分に合わない本を読んでしまったとき、「時間を無駄にしてしまったな」と感じてしまったのです。
ですからエッセイはとても私にしっくりきました。
そしていろんな人のエッセイを読みたいと思ったのです。
そしてそして、私も自由に書いてみたいと思いました。
読んでくれる人の話相手になれればいいな、という気持ちです。
これから、私が誰かの話し相手になれるような、自由気ままな文章を書いていきます。