いいかげんと、寛容はチガウ・・・ | かめのしっぽ☆'s ふらっと ふらいと ~旅ときどき日常~

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Yahooブログから引越して来た、かめのしっぽ☆です。

大好きな飛行機や旅のこと
飼い猫や家族ネタも盛り込んだ記事を、日々、綴ってまいります。
読んで大笑いしていただけたら、幸いです。

「別に、いいんじゃないですかぁ~」とか
「かまわなきゃいいじゃん~」とか

会話の中で、そう言い返されるのが
私は大嫌いです。

それぞれの会話や場面のシチュエーションもあるので
一概には言いきれないところもあるけれど
個人的には、凄く失礼な言い方だな、と感じることが多いです。


ある意味、親しければ親しいほど
ハナシも密になっていくので
そんな中で、そういわれたら、とてもかなしくなりますね。

はっきり言って、とてもいいかげんにあしらわれた気がして
腹が立ちます。


で、ふっと、思いました。

人間関係の中では、傾聴ということ
とても大事なことなんだな、と。

親戚付き合いの中で、今、とても難しい課題があるけれど
そして、私には、特別なことは出来ないし
何より、経済力がないので
無責任な発言や、投げやりなことは言えません。


「クリスチャンなら、教会で祈ってもらえばいいじゃん~」
というヒトもいるけれど
教会、ね。

実は、それが問題なんだよね。

キリスト教会、だからといって
なんでもかんでも話が出来ると思ったら
それは大間違い!という体験を
私はかつての教会で経験しているので

教会は、そういう問題解決の施設として用いるのは
チガウ!と確信しています。

所詮、口ではいろいろイイコト言ってても
実際は、信頼して発言したことが
いつの間にか、無関係な他の信徒さんたちにも伝わっていたりして

教会の守秘義務は、一体、どうなっているんだろう、と
思ったこともありました。

ある意味、なんでもかんでも受け入れて
「いいよ、いいよ」というのが
神様の愛、だと思っているのかな、と
その教会の考え方そのものに猜疑心を抱いてしまったけれど

はいは、はい
いいえは、いいえ

でしょう。


教会は、御霊を通して示された
御言葉からの解き明かしである真理を
正しく語ってくれる場所ですから

肉(俗)と霊はしっかり区別する、ということが
しっかり成しえてないと
冒頭に記したような言葉で、適当にあしらわれてしまうということ
凄くよくわかりました。

まぁ、今の教会においては
世の次元のことは、誰も教会内に持ち込みませんので
目に見える形は同じであっても
その背後にある、本当の神様の目的を知り
祈り、祈り合うことが出来るので、本当に感謝です。


やっぱり、私には、日本に数多くある
既存のキリスト教会のやり方には、馴染めません。

日本人には、日本人に合った伝え方・受け取り方があるので
一方的に、盲目的に正しいと主張している人たちから
自分たちの価値基準をもって、あれこれ裁いたり
一段、高いところから発言されることが
どうにも嫌なのです。

先日も、以前、同じ教会で信仰生活をしていた方から
夫のことで、ご心配いただくような内容の手紙を受け取りましたが
「夫を救いに導けないのは、あなたの責任」
という様な内容が記してありましたが

本当にイエス様を信じて救われて
新生体験をしている方だったら
絶対に、そんなことはしない、というか
出来ないはずです。


いや、もっと言ってしまえば
うまれかわりというものも真理でしょうから
たとえ、今生でイエス様を信じず死んだとしても
次の生、そのまた次の生で、イエス様と出会うチャンスはあるでしょう。

だから
イエス様を信じる・信じないは、あくまでも本人の問題で
誰の責任でもないんですね。

ただでさえ、煩わしい日常に、多くの人たちは生きているのですから
そんな縛り、本当にごめんです。


既存の教会で語られて来た、伝統と教え
そして、それぞれの教団教派の規約や教義として
受け継がれてきたことよりも
私は、本当の霊的次元の正しい真理が知りたいです。

そして、本物の寛容を身に着けている方と
しっかり出会い、交わってみたいです。


  【日本でのキリスト教】